自分の家族や、知人を亡くしたわけではないが、それでもあの震災は我が家の方向を変えた。
あの震災がなければ、私たちは今もなお、神戸に住みつづけていたであろうし、夫の仕事も今とは違っていただろう。
大好きだった神戸の街並は、10年という時間の中で、あの当時の無残な姿から装いをかえ、元のようにお洒落で綺麗な街へと変貌した。クリスマスには震災犠牲者への鎮魂というイベントであるルミナリエが開催され、全国から多くの観光客を集めている。
だが。本当の鎮魂とは何なのか。
震災を忘れないことはもちろんのことであり、犠牲者への供養も必要なことだと思う。
しかし、本当の意味での鎮魂とは、それを避けては通れない地震大国日本においての防災対策ではないのか、と思うのだ。あの経験を語り継ぐことで、少しでも被災を免れ、死者をださずにすむようにすること、それが残された震災経験者の責務であり、亡くなった方々への供養であると考える。
あの阪神での震災経験が、どれだけ昨年に起きた新潟中越地震の際に生かされたのか。
一般の人々の意識は、少なくとも10年前よりもはるかに災害を身近なものと捉え、他人事として済ますことはなくなったように思える。が、行政府の対応は相変わらずであるし、マスコミの報道のあり方も、それほど変わってはいないように感じるのは私だけであろうか。
10年前の震災の数日後、命からがら、という状態で大阪まで避難した私たち家族が目にしたものは、ほんの電車で30分もかからない場所で起きている悲惨な状況とはかけ離れた、日常の喧騒と潤沢なモノの氾濫だった。その温度差が、イコール首都圏で受け止める震災というものだと思ってしまった。
政府が、自治体が、などと偉そうなことを声高に言うつもりなどさらさらないが、10年経ってみて思うのは、「自分の身は自分で守れ」、「備えあれば憂い無し」ということである。
安政の大地震の際、紀州の濱口梧陵という老人が、自分の家に代々伝わる言い伝えに従って、津波の来襲を予知し、松明をたいて村人たちを津波から救った、という話を先日テレビでやっていた。
昨日のブログに書きこんでくださったEKOさんのお祖母様からお母様への言い伝えで、寒の水は傷みにくいということなども先人の後世へ伝える智恵であり、こういった非常時に対するこころ構えみたいなものかもしれない。
先のインドネシア大地震による津波災害の時にも感じたが、何かこれはおかしい、変だという動物的な勘、それを呼び覚ますための豊富な知識や、リスクを下げるための環境整備、それこそが我が身を守るための方策ではないのか、と思う。
遠からず、必ず起こるとされている東南海地震から身を守るのは自分自身だということを改めて肝に銘じておきたい。
あの震災がなければ、私たちは今もなお、神戸に住みつづけていたであろうし、夫の仕事も今とは違っていただろう。
大好きだった神戸の街並は、10年という時間の中で、あの当時の無残な姿から装いをかえ、元のようにお洒落で綺麗な街へと変貌した。クリスマスには震災犠牲者への鎮魂というイベントであるルミナリエが開催され、全国から多くの観光客を集めている。
だが。本当の鎮魂とは何なのか。
震災を忘れないことはもちろんのことであり、犠牲者への供養も必要なことだと思う。
しかし、本当の意味での鎮魂とは、それを避けては通れない地震大国日本においての防災対策ではないのか、と思うのだ。あの経験を語り継ぐことで、少しでも被災を免れ、死者をださずにすむようにすること、それが残された震災経験者の責務であり、亡くなった方々への供養であると考える。
あの阪神での震災経験が、どれだけ昨年に起きた新潟中越地震の際に生かされたのか。
一般の人々の意識は、少なくとも10年前よりもはるかに災害を身近なものと捉え、他人事として済ますことはなくなったように思える。が、行政府の対応は相変わらずであるし、マスコミの報道のあり方も、それほど変わってはいないように感じるのは私だけであろうか。
10年前の震災の数日後、命からがら、という状態で大阪まで避難した私たち家族が目にしたものは、ほんの電車で30分もかからない場所で起きている悲惨な状況とはかけ離れた、日常の喧騒と潤沢なモノの氾濫だった。その温度差が、イコール首都圏で受け止める震災というものだと思ってしまった。
政府が、自治体が、などと偉そうなことを声高に言うつもりなどさらさらないが、10年経ってみて思うのは、「自分の身は自分で守れ」、「備えあれば憂い無し」ということである。
安政の大地震の際、紀州の濱口梧陵という老人が、自分の家に代々伝わる言い伝えに従って、津波の来襲を予知し、松明をたいて村人たちを津波から救った、という話を先日テレビでやっていた。
昨日のブログに書きこんでくださったEKOさんのお祖母様からお母様への言い伝えで、寒の水は傷みにくいということなども先人の後世へ伝える智恵であり、こういった非常時に対するこころ構えみたいなものかもしれない。
先のインドネシア大地震による津波災害の時にも感じたが、何かこれはおかしい、変だという動物的な勘、それを呼び覚ますための豊富な知識や、リスクを下げるための環境整備、それこそが我が身を守るための方策ではないのか、と思う。
遠からず、必ず起こるとされている東南海地震から身を守るのは自分自身だということを改めて肝に銘じておきたい。
キャンプですが家族は今ひとつですが私は大好きなんです。荷造りとご飯作りが・・(変?)
結婚後は狭い借家住まいではあるけれど子供が赤ちゃんのうちは通常の備えだけでは足りないということで常にベビーフードやイオン飲料なども準備していました。水も1ケースしか常備していなくて、消費期限が来たらそれを使い新たに買い換えていましたが、昨日のEKOさんの書き込みを見て、残しておいてもいいものなのだな!と思いました(場所が確保できる限り・・・)
「お風呂の残り湯で歯磨き」の話もそれだけ切羽詰った状況だったのだと思い、経験した者にしか分らない苦労がまだまだたくさんあることを改めて感じました。
大地震の津波についてもそうですが、どうにも避けられない自然災害ではあるけれど、知識があることで危険回避できることもたくさんあると思うので、特定の情報からでも判断できる力を親として持っていなければ子供は守れないのかなぁと感じています。
「2月の何とか」ではなく「何とかの水」でしたね。
CITROENさんご存知だったのですか?物知りですね。(尊敬)
私はこんなところに書き込むこととは思わず、母との会話では聞き流していました。
少し前に起こった和歌山方面での大きな地震の時に、たまたま私の隣にいたご婦人が南海地震と阪神大震災の両方を被災したときの体験を話してくれました。
その方も、「南海地震の時に父親が私たちに避難の知恵を教えてくれた。その時はまだ幼い子供だったけれど、父から教わった事は今でもちゃんと覚えているし、阪神の時も実行して命が助かった」とおっしゃっていました。
いざというとき、落ち着いて正しい行動がとれるような強い心を持たなければ、生き延びることが大変な時代になってしまいましたね。
便利になって、頭も手も使わなくなるとともに、本来備わっている動物的なカンみたいなものも失っていっていると。
アウトドア経験は、勘を磨くことになるかも、ですよ。
アプリコットさん、ほんとそうです。
備蓄したくとも、狭い家でどこに置いて置くんだ?という問題にぶちあたりますよね。
やっぱり自治体が、本格的に地区ごとの備蓄体制を整えてくれないと。
私たちは、本当に恵まれた被災者でした。
私たちが身を寄せた家の妹さんは、病弱な赤ちゃんを抱え、暖房などない大勢の人がごったがえす体育館に避難を余儀なくされ、つらく、寒く、情けない思いをされました。その時、私たちはそのお姉さんの家でぬくぬくと暖をとり、暖かな飲み物をすすっていたのです。本当に、申し訳なさで涙がでました。
都会の脆弱さとでもいうのでしょうか、隣人の顔さえ知らないために、救いの手を差し伸べられることもなく、途方にくれた人、人口密度が高いために避難所でのスペースも、全くと言っていいほどプライバシーがなく、ストレスの多い生活、などなど、本当に聞いているだけで涙があふれそうになる話がいっぱいです。そういう体験記は、やはり何らかの形で残しておくべきなのだと思います。
EKOさん、「寒の水」って適当に言っただけなんです。奈良のお水とりって旧暦の「寒」の時期のものだから。ひょっとしたら関係あるのかもしれませんね。あなどれません、年配者のはなしは。
Rokuさん、そうですよね?
私たちも梅田に立ったとき、目の前の光景が信じられなかったのです。神戸線から続々と降りてくる人は、みな疲れた顔で冬山登山のような格好で降りてくるのに、デパ地下にはいつもと全く同じ状態でうやうやしく食品が並べられ、皆楽しそうに歩いていました。とても同じ関西の光景には思えませんでした。
でも、もし自分が反対の立場だったらどうなんだろう?とも思いました。きっと、私だって自分が被災していなければ、ここを歩いている人と同じように、神戸の地震が身近なものとは思えなかったかも、って。
どんな場合も、冷静沈着に物事を見つめ、行動したいと思いますね。