ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

初心忘るべからず

2009-11-17 | 砂時計
友だちに初孫ができた。
「ばあば」と呼ぶには若すぎる、ちょっと、薹がたったお母さん、に見えなくもない友だちである。
赤ちゃんのママになったAちゃんは、それこそ幼稚園の頃から知っているだけに、私自身自分の孫を見るような錯覚にとらわれてしまう。

新生児のちっちゃさ、重さに触れるのは本当に久しぶり。
おっぱいのにおい、ぴくっと動く紅葉のような手、ほわほわした柔らかな髪の毛、などなど、すべてが懐かしい。
息子を初めて腕に抱いたときのことを、遥か遠くにしまい込んだ頭のアルバムから引っ張り出してきて、幸せな気分に浸る。
ああ、そうよね、生まれたときはこんなだった。
すやすや眠る小さな顔をのぞき込むだけで、幸せな気分が満ちあふれて・・・

友だちとしばし、息子の進学問題について語り合う。
一緒に子育てしてきた彼女である。
いろいろな話をしていて、彼女が言う。
「今も覚えてるで。XXさんが、子どもに望むのは“生きていてくれさえすれば”って言ってたのを。」
そう、そうなのである。
子育て仲間4人で、子ども達の将来を話し合っていたとき、私が
「もし、子どもがレーサーとかになりたい、って言い出したらどうする?」
と問いかけたら
ある一人のお母さんは
「そんなことはありえないから、考えられない」と言い、私はそこで
「なりたいものになったらええし、子どもに望むことは“生きていてくれさえすればいい”ということだけやわ。」
と言ったのである。

息子が生まれてきたとき、本当に、そう思った。
「生まれてきてくれてありがとう。ずっと元気でいてね。」
大きくなるにつれ、世塵にまみれ欲や見栄の上着を重ね着してしまっていたのかもしれない。
友だちは、そして赤ちゃんは、それを思い出させてくれた。
そうだよね、しっかり生きていってくれさえすれば、それ以上何を望まんとするのか。
初心忘るべからず。

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4 コメント

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実感 (EKO)
2009-11-17 19:35:08
私は特に最近ここ数ヶ月、しみじみそう思います。
思えば(そんなことが普通だと思っていましたが)、いろいろな事を子供達に期待していました。
中には期待して、努力して、親の期待に答えるパターンもあるでしょうけど、子供が小さい時と違って、中高生になると本当に挫折も含めていち個人に成長しているなと思います。
もう親は支えるだけで、決定の意思は本人達ですね。
とーってもそう思う今日この頃です。
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これからさらに実感!? (アプリコット)
2009-11-17 22:01:39
子どもがしっかり生きていってくれることを望む、その生き方に親はどうしてもこだわってしまう部分がありますよね。
元気なら元気で期待は大きくなる気がします。
言葉と裏腹な部分もあって・・・

小さな赤ちゃん。
皆がその子の未来に期待して、夢を一緒に見て
その子の存在に癒されますね。
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EKOさん (CITROEN)
2009-11-18 19:59:00
子どもが年齢的に子どもではなくなってくると、色々と親も目から鱗を落とす必要が出てくると思いませんか?
ある意味、親の思い通りに動いていた時代は終わり、自立していこうとする時代に入ったって事ですよね。
そうでなくちゃ困りますし。
親はいつも、「木の上に立って見る」という姿勢を忘れてはいけませんね。
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アプリコットさん (CITROEN)
2009-11-18 21:31:32
赤ちゃんには、全方位にありとあらゆる可能性が広がっていて、きらきらしていますよね。
大きくなるにつれ、ある程度の方向性が見えてきて、そこへもってきて親の考え方や感じ方で洗脳してしまおうとするのかもしれません。

親の期待というのは、親の自分がなしえなかった夢の肩代わりを子どもにさせようとすることなのかも知れない気がします。
もう一度、息子が生まれたときのピュアな気持ちを思いだして、静かに見守ってやろうとあらためて思いました。
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