私が眠れない夜を過ごしていたとき、とうの本人である夫が眠られなかったのは言うまでもない。
夜中に起きだして、リハビリ室でひとり黙々と痛みに耐えながらリハビリに励んでいたそうだ。
この病気になると、拘縮が始まり握り手になったら、なったままになるひとが多いらしい。
足も引きずったままになってしまうことが多いのも、最初のリハビリが肝心だからだそうだ。
相当な痛みを伴うリハビリに耐えなければ、機能回復は見られない。
自分が五十肩になって、よくわかったことだけれど、固くなった筋肉をほぐす、ということは並大抵のことではない。
夫が、その痛みに耐えて、頑張った証は、一年経った今あらわれている。
会う人ごとに
「え!本当に脳卒中で倒れたんですか?」
と驚かれるほどに、健常者と変わらぬ風体で過ごしている。
マンガ巨人の星の花形満のごとく、人知れぬところで頑張って結果を出したんだなぁ、と思う。
入院して、シャツを脱ぎ着するのに口を使う姿や、
看護師さんに付き添われ、肩を落として片足を引きずりながら歩く後姿を見た時には涙が出そうになった。
このまま、こうして人生を終えなければならないのだろうか、
私はどうやって支えていけばいいんだろうか、と。
今回夫が病に倒れたことで、一番私を悩ませたのは、自分の存在だった。
夫が病気に倒れたことも、自分が夫に代わっていろいろなことを背負っていかねばならないことも、
すべては自分の負のエネルギーのなせる業ではないのだろうか。
私が夫と結婚することがなければ、彼をこんな目に遭わせることもなかったかもしれない。
世の中には、最強の運を持つ女性は五万といて、その人とめぐり合わせた旦那様は、幸せに暮らしている。
柄本祐さん扮する惣兵衛が、妻のはつに告げたがごとく
私と結ばれなければ、夫はもっと幸せになっていたはず。
そんなことをぐるぐる、ぐるぐる考え続けていた。
その一方で、こんな苦しい状況下、実家に逃げ帰ろうともせず、立ち向かえるのは私だからこそ。
苦労知らずのお嬢様育ちには、到底太刀打ちできないことじゃないか。
ここで逃げ出したら、女が廃る、と自分を叱咤激励する日々だった。
そんなあれやこれやを一人では抱えきれずにいたところ、高校時代の友人たちが私の窮状を聞きつけ
メールや電話をくれた。
こんなとき、そっとしておいた方が、と思う人も多いだろう。
が、私は違った。
ひとりの夜は寂しすぎた。
つらすぎた。
しんどかった。
そんな時、友人たちの励ましや、おしゃべりはどれほど元気づけてくれたことか・・・
人は、その字のごとく支えあってこその人なのだ。
そのぬくもりは、しゃべってこそ感じられるものなのだ。
それを実感する毎日だった。
生まれて初めて、睡眠薬に手を出したのもこの頃だった。
だが、結局は指示された用法の半分の量を一度飲んだだけで、やめてしまった。
睡眠薬の怖さは、姑の不調をみていやというほどわかっているから。
眠れない夜は、むやみやたらと本を読み、眠くなるのを待った。
無宗教に近い私が、お経をあげた。
とにかく、何かに縋り付きたい一心だった。
夜中に起きだして、リハビリ室でひとり黙々と痛みに耐えながらリハビリに励んでいたそうだ。
この病気になると、拘縮が始まり握り手になったら、なったままになるひとが多いらしい。
足も引きずったままになってしまうことが多いのも、最初のリハビリが肝心だからだそうだ。
相当な痛みを伴うリハビリに耐えなければ、機能回復は見られない。
自分が五十肩になって、よくわかったことだけれど、固くなった筋肉をほぐす、ということは並大抵のことではない。
夫が、その痛みに耐えて、頑張った証は、一年経った今あらわれている。
会う人ごとに
「え!本当に脳卒中で倒れたんですか?」
と驚かれるほどに、健常者と変わらぬ風体で過ごしている。
マンガ巨人の星の花形満のごとく、人知れぬところで頑張って結果を出したんだなぁ、と思う。
入院して、シャツを脱ぎ着するのに口を使う姿や、
看護師さんに付き添われ、肩を落として片足を引きずりながら歩く後姿を見た時には涙が出そうになった。
このまま、こうして人生を終えなければならないのだろうか、
私はどうやって支えていけばいいんだろうか、と。
今回夫が病に倒れたことで、一番私を悩ませたのは、自分の存在だった。
夫が病気に倒れたことも、自分が夫に代わっていろいろなことを背負っていかねばならないことも、
すべては自分の負のエネルギーのなせる業ではないのだろうか。
私が夫と結婚することがなければ、彼をこんな目に遭わせることもなかったかもしれない。
世の中には、最強の運を持つ女性は五万といて、その人とめぐり合わせた旦那様は、幸せに暮らしている。
柄本祐さん扮する惣兵衛が、妻のはつに告げたがごとく
私と結ばれなければ、夫はもっと幸せになっていたはず。
そんなことをぐるぐる、ぐるぐる考え続けていた。
その一方で、こんな苦しい状況下、実家に逃げ帰ろうともせず、立ち向かえるのは私だからこそ。
苦労知らずのお嬢様育ちには、到底太刀打ちできないことじゃないか。
ここで逃げ出したら、女が廃る、と自分を叱咤激励する日々だった。
そんなあれやこれやを一人では抱えきれずにいたところ、高校時代の友人たちが私の窮状を聞きつけ
メールや電話をくれた。
こんなとき、そっとしておいた方が、と思う人も多いだろう。
が、私は違った。
ひとりの夜は寂しすぎた。
つらすぎた。
しんどかった。
そんな時、友人たちの励ましや、おしゃべりはどれほど元気づけてくれたことか・・・
人は、その字のごとく支えあってこその人なのだ。
そのぬくもりは、しゃべってこそ感じられるものなのだ。
それを実感する毎日だった。
生まれて初めて、睡眠薬に手を出したのもこの頃だった。
だが、結局は指示された用法の半分の量を一度飲んだだけで、やめてしまった。
睡眠薬の怖さは、姑の不調をみていやというほどわかっているから。
眠れない夜は、むやみやたらと本を読み、眠くなるのを待った。
無宗教に近い私が、お経をあげた。
とにかく、何かに縋り付きたい一心だった。
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