ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

三回忌

2006-10-09 | 砂時計
義父の三回忌が行われた。
この三回忌にあたり、義母がそろそろと家の中を片付け始めたら、義父が遺していった遺言書がでてきた。
「家族の皆様へ」と記されたその書状は、文字通り義母、夫、私、息子の4人に宛てたものだった。
文学者に憧れ、退職後は「源氏物語を読む会」を主宰するなど、文学に通じたひとらしい
達筆で流麗な文章で綴られていた。

義母への手紙は、終始一貫して感謝に徹したものだった。
我儘な自分に連れ添ってくれたことに感謝し、また生まれ変わっても再び結婚したいと記されていた。
夫には、自分の能力を生かさず、安易に生きることを戒め、私たち家族に対して夫として、父親としての責任を果たすように、と小言に終始していた(笑)
私には、奔放に生きる息子(=夫)に連れ添ってくれていることへの感謝と侘びがしたためられ、
孫である息子に対しての手紙が一番長いものだった。
生まれてから、その手紙が書かれたときまでの思い出が綴られ、いかに息子のことを可愛がり、愛していてくれたのかということがよくわかる。
また、自分が行きたかった大学名が記されており、できればそこへ進学して自分の夢をかなえて欲しいという孫への思い入れも書き残されていた。
そして、夫にも私にも息子にも、共通して託されていたのは義母のことだった。
義母が亡くなるまでは、現在の家を処分することなく、義母がしたいようにさせてやって欲しい、義母を助けてやってくれ、義母を大事におもってやって欲しい、とすべてが義母、義母、だったのである。
これを読んだ息子がひとこと、
「じいじはよっぽど、ばあばに迷惑かけたとおもててんな(思ってたんだな)」とつぶやいた。

本当に、仲の良い夫婦だった。
義母に言わせれば、えらそうにふるまって腹が立って、後ろから蹴飛ばしてやろうか、と思うこともたびたびあったらしいが、それでも本当にいい夫婦だったと思う。
この書状がしたためられた日付は、最初の手術の前である。
義父は、ガンの告知を受け、あるいは、という覚悟を決めて臨んだ手術だったのだ。
二度目の手術のときには、そんなことを考える余裕もなかったのかもしれない。
そんなことは私たち家族の誰も知らず、義父は病が治ることだけを信じているのだと思い込んでいた。
夫が父親の遺言をどのように受け止めたのかは知る由もないが、義母が義父の愛情を感じ、息子が祖父の思いを知ったことだけは間違いない。

家へ帰る道すがら、高速を走る車の窓から見たきれいなうろこ雲。
亡くなった義父や、私たち家族の心に去来する色々な思いのように空いっぱいに広がっていた。



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2 コメント

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そうですかあ。もう三回忌。 (Roco)
2006-10-10 22:18:53
月日が流れるのは早いね。めぐみさんの誕生日、の話題も去年あったなあ、と私も思っていたし。



お義父さんみたいなお手紙残してもらえたら

残された人はほんと、襟を正して生きていかねば、という気になるね。

息子君にとっても生きていく上で支えになると思うよ。

理想的だなあ、と思うけど自分にはできるかなあ。と思う。

CITROENさん、カキコありがとね。夢はCITROENさん効果もあったかも。お互い気を付けましょ。

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あわわ (CITROEN)
2006-10-10 23:35:19
Rocoさん、わざわざ訪ねてくださってありがとう。

なんか、軽い気持ちで書き込んだけど、場の雰囲気を壊した??とかって思って消しちゃったよ。



義父はねぇ、そうね、カッコつけてるところもあるんだと思うんだけど、でも義母を思う気持ちだけは本物だと思ったわ。

生まれ変わってももう一度一緒に暮らしたい、って言われる妻というのは、妻として十分にその役目を果たしたってことだよね。

私は、そう言われる妻かどうかは・・・だよ
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