世の中には、嘘のような本当のはなしというものがある。
私の知人に、去年の夏から、今年の早春にかけて親類で3つの葬儀を出した人がいる。
親類で3つの葬儀、といってもたいして珍しいことではないのだが、その人の場合は少し事情が違っている。
どういうことかといえば、その人の夫を含む、3人の兄弟が半年の間に相次いで亡くなってしまったのである。
長男と次男は病死、三男はその家族とともに交通事故でなくなってしまったのだ。
残されたのは、年老いた母親と、それぞれの家族。
あまりのその非現実的な現実に、まわりの誰もがその家にまつわる何か、を考えた。
ごく普通の家族である。特別、人に恨みをかうようなことをしているわけではない。
唯一、思いあたるとすれば、その母親が若くして亡くした自分の夫や、先祖の墓をぞんざいに扱っていたことくらいだった。
話はかわり、うちの夫が仕事のことで相談している人がいる。
その人と、ひょんなことからお墓の話になった。
すると、その人が
「あんたは、ご先祖さんのお墓をちゃんとお参りしてるか?」と尋ねたそうだ。
夫が
「まぁ、人並みに盆、暮れ、彼岸ぐらいはお参りするようにはしてますけど。」
と答えると
「そうか、お墓は大事やで。お墓を粗末にしてたらろくなことはないで。
それと、お骨はお墓の中でちゃんと土に還るようにしとかなあかんで。時々、コンクリートや石でがちが ちに固めてしもたお墓があるけど、そんなことは絶対にしたらあかんで。そんなことをしたら、その家の 男は途絶えてしまうで。今度、自分の家のお墓の中がどんな作りになってるかちゃんと見ときや!」
と言われたそうだ。
夫がその話を聞いてきたまさにその日。私はその夫を亡くしたその人と、お墓の話をしたばかりだったのだ。その知人が、早く自分の夫のお墓を建てなければならないのだが、本家のお墓の横にそのお墓よりも大きいお墓を建てるのはどうしたものか、という話をしていたのだ。その時に、その人が本家のお墓は全部をコンクリートで固めてしまっていて、変わったお墓だなぁ、と思ったと言っていたのだ。
そう、まさに後継ぎとなるべき人間が断絶するかのごとく亡くなってしまったのだ。
その信じられないような、本当の話に思わず鳥肌が立ってしまった。
祟り、とかいう日本人特有の思想ではあるが、やはりご先祖を「ほっとけさん」にしないでおいたほうがよさそうだ。
明日は義父を家に連れて帰る。たぶん、これが最後の帰宅となるだろう。
お墓参りもきちんとしておかなくては。
私の知人に、去年の夏から、今年の早春にかけて親類で3つの葬儀を出した人がいる。
親類で3つの葬儀、といってもたいして珍しいことではないのだが、その人の場合は少し事情が違っている。
どういうことかといえば、その人の夫を含む、3人の兄弟が半年の間に相次いで亡くなってしまったのである。
長男と次男は病死、三男はその家族とともに交通事故でなくなってしまったのだ。
残されたのは、年老いた母親と、それぞれの家族。
あまりのその非現実的な現実に、まわりの誰もがその家にまつわる何か、を考えた。
ごく普通の家族である。特別、人に恨みをかうようなことをしているわけではない。
唯一、思いあたるとすれば、その母親が若くして亡くした自分の夫や、先祖の墓をぞんざいに扱っていたことくらいだった。
話はかわり、うちの夫が仕事のことで相談している人がいる。
その人と、ひょんなことからお墓の話になった。
すると、その人が
「あんたは、ご先祖さんのお墓をちゃんとお参りしてるか?」と尋ねたそうだ。
夫が
「まぁ、人並みに盆、暮れ、彼岸ぐらいはお参りするようにはしてますけど。」
と答えると
「そうか、お墓は大事やで。お墓を粗末にしてたらろくなことはないで。
それと、お骨はお墓の中でちゃんと土に還るようにしとかなあかんで。時々、コンクリートや石でがちが ちに固めてしもたお墓があるけど、そんなことは絶対にしたらあかんで。そんなことをしたら、その家の 男は途絶えてしまうで。今度、自分の家のお墓の中がどんな作りになってるかちゃんと見ときや!」
と言われたそうだ。
夫がその話を聞いてきたまさにその日。私はその夫を亡くしたその人と、お墓の話をしたばかりだったのだ。その知人が、早く自分の夫のお墓を建てなければならないのだが、本家のお墓の横にそのお墓よりも大きいお墓を建てるのはどうしたものか、という話をしていたのだ。その時に、その人が本家のお墓は全部をコンクリートで固めてしまっていて、変わったお墓だなぁ、と思ったと言っていたのだ。
そう、まさに後継ぎとなるべき人間が断絶するかのごとく亡くなってしまったのだ。
その信じられないような、本当の話に思わず鳥肌が立ってしまった。
祟り、とかいう日本人特有の思想ではあるが、やはりご先祖を「ほっとけさん」にしないでおいたほうがよさそうだ。
明日は義父を家に連れて帰る。たぶん、これが最後の帰宅となるだろう。
お墓参りもきちんとしておかなくては。
どうにも説明のつかないこと。
お墓をすべてコンクリートで固めるのは、こちら側にいる(生きている)人間の都合ですもんねぇ。
昔いっしょに仕事をしていた先輩がね、弟さんを小学生の時に亡くしていたの。
交通事故でね。
それがなんと、亡くなったおばあちゃまの葬儀を出した日、その日は友引だったのですって。
おばあちゃまに連れて行かれてしまった…と、遺された家族は友引に葬儀を出したことを後悔したそう。
お義父様のご帰宅、思い出深いものになりますように。
昨日 お墓にいったとこでした。墓守7年です。
今年は いつまでも花が高く(お盆並みの値段が続いて)
墓石に 「ごめんねぇ」と謝ったりしていました。
私が独身時代 某宗教の シンボル的なものを処分しきれず やっと相談にのってくれるひとが 処分してくださって ホッとしたのもつかの間 1ヵ月後に 義父が急死
それが 原因だったのかな?と思い悩みましたが
寿命だったのよと慰めてくださいました。
子どもが小さい頃の方が 頑張ってお墓にいってたなァと最近のこと 反省です。
お仏壇も お花の水替え他 ついうっかりがあるので 粗末に扱わないようにしないと
のぴさんの、その先輩の話も恐いなぁ。
昔からの言い伝えは、やはりそれなりに裏のあるものだと思うのです。だから、現実的に生きることも大事だとは思うのだけど、それなりに年寄りの話しにも耳を傾けておいたほうがいいのかなぁ、と思う部分もあります。
ゴンタさん、そうでしょう?
その知人にも、その話をしたら、絶句していました。
やっぱりあるのですよ、そういうことは。
私は宗教に関しては、まったく無知で自分の実家の宗派も、夫の家の宗派も覚えていないくらいの人間ですが、霊とかそういった横溝正史的なものには妙に神妙になってしまいます。
お坊さんに拝んで頂くとか、そういうことはあまり意味があるとは思いませんが、粗末には扱いたくないなぁ、としみじみ思った次第です。
私たちは教会の共同墓地に入ることになっていて、その墓には入らないので・・・。
本当は、その墓ごと共同墓地に引っ越せば、こまめに来てくれる人はいる訳なんだけど、
先祖の人を違う宗教の墓に入れちゃうのも、悪いよなあ、と、思ってさ・・・。
子供や跡取りが減って、無縁仏だらけになってきてるらしいけど、難しいよね。
でも、この話、怖いわねえ・・・。
私もね、昨年教会式のお葬式に出た時、その式のありかたが良かったので、夫婦ともに宗派替えして、キリスト教で見送ってもらうのもいいかな、と話していたところなの。
どうなんだろうね、べつの宗派のひとが同じお墓にはいるのって。死んだらわからないことなんだとは思うのだけど、今回のこの話をきいてから、ちょっと死んでも終わりじゃないのかな、って気がしてきたりして・・・。
だいたい、日本のお坊さんは、あまりに徳がなさすぎるって思うの。その点、牧師さんのほうが、まだ世塵にまみれていない、高潔なひとが多い気がするのだけどね。