息子の高校で、進路選択の説明会があった。
高校生にもなって、わざわざ保護者を呼んで説明するんですかい!と言いたい気持ちを抑えて一応参加する。
要は、二年生から理系にするか、文系にするかの選択を親子でよく話し合って決めてくれ、という内容のものだった。
自分の高校時代を振り返れば、コース選択に親の意見など別に聞くに及ばずだったし、自分の進路を親に相談することも特にはなかった。
もちろん、学費のことがあるからそのあたりの相談はしたけれど、自分の就きたい職業を親と共に考えることなどまるでありえなかった。
今は、すべてが親掛かりである。
たしかに、わが子をみても幼すぎる。
やることなすことすべてが幼稚なのだ。
文系か理系か、と選択する前に高校生としての資質があるのか、と問いたいくらいである。
しかし、とにかくどちらかのコースを選択しなければならない。
何が彼に向いているのか?
コース選択のひとつの判断材料として、親ができることの唯一のことは自分の子どもの小さいころに好きだったことを教えてやって欲しい、といわれた。
そういわれて、思いつくものが私はない。
自分の息子が、ほかの子どもよりも突出して好きだったことなど思い出せない。
というか、比べるにもそんなに自分の子とよその子を比べてどうだったか、と述べられるほど子どもたちが遊んでいる様子を観察してはいなかった。
J系には間違っても入れる容姿でもなければ、絶対音感をもっているような音楽的素養もない。
甲子園、オリンピックをめざせるずばぬけた運動能力があるのか、といえばもちろんない。どこかのファンドの社長のような目から鼻にぬけるような才覚があるわけでもない。
性格がとても優しくて、親孝行で、友人からも慕われる人望厚いヤツか、といえばそれも断じてない。
なら。
何が彼に向いているのか。
味覚だけは、間違いなく確かである。
ただ、それだけ。
そんなものが、高校時代のコース選択になんの役に立つというのであろうか。
成績にしても、どっちが得意か、といえるほど白黒つくような成績でもない。
こんな場合、自分が継がねばならない家業でもあれば、とりあえずの選択肢があるにはあるだろう。
だが、それも息子の同級生のように足かせになっている場合もなきにしもあらずだろう。
結局、自分の進む道は自分で選び取っていくしかないだろう。
親である私たちができることは、レールを敷いてやることではなくて、彼が自ら選んだ道を「こっそり」と応援してやることだと思っている。
高校生にもなって、わざわざ保護者を呼んで説明するんですかい!と言いたい気持ちを抑えて一応参加する。
要は、二年生から理系にするか、文系にするかの選択を親子でよく話し合って決めてくれ、という内容のものだった。
自分の高校時代を振り返れば、コース選択に親の意見など別に聞くに及ばずだったし、自分の進路を親に相談することも特にはなかった。
もちろん、学費のことがあるからそのあたりの相談はしたけれど、自分の就きたい職業を親と共に考えることなどまるでありえなかった。
今は、すべてが親掛かりである。
たしかに、わが子をみても幼すぎる。
やることなすことすべてが幼稚なのだ。
文系か理系か、と選択する前に高校生としての資質があるのか、と問いたいくらいである。
しかし、とにかくどちらかのコースを選択しなければならない。
何が彼に向いているのか?
コース選択のひとつの判断材料として、親ができることの唯一のことは自分の子どもの小さいころに好きだったことを教えてやって欲しい、といわれた。
そういわれて、思いつくものが私はない。
自分の息子が、ほかの子どもよりも突出して好きだったことなど思い出せない。
というか、比べるにもそんなに自分の子とよその子を比べてどうだったか、と述べられるほど子どもたちが遊んでいる様子を観察してはいなかった。
J系には間違っても入れる容姿でもなければ、絶対音感をもっているような音楽的素養もない。
甲子園、オリンピックをめざせるずばぬけた運動能力があるのか、といえばもちろんない。どこかのファンドの社長のような目から鼻にぬけるような才覚があるわけでもない。
性格がとても優しくて、親孝行で、友人からも慕われる人望厚いヤツか、といえばそれも断じてない。
なら。
何が彼に向いているのか。
味覚だけは、間違いなく確かである。
ただ、それだけ。
そんなものが、高校時代のコース選択になんの役に立つというのであろうか。
成績にしても、どっちが得意か、といえるほど白黒つくような成績でもない。
こんな場合、自分が継がねばならない家業でもあれば、とりあえずの選択肢があるにはあるだろう。
だが、それも息子の同級生のように足かせになっている場合もなきにしもあらずだろう。
結局、自分の進む道は自分で選び取っていくしかないだろう。
親である私たちができることは、レールを敷いてやることではなくて、彼が自ら選んだ道を「こっそり」と応援してやることだと思っている。
先日娘の学校の懇談会に参加した際、先生が「今の子供に必要なのは、昔のような元服という儀式を持って大人になるという自覚を持たせることでは?」と仰ったのを思い出しました。
「自分が何をしたいのか、そのためには何をしたら良いのか」を考える力を持った子供に育てることが先生方が小学校で目指す「教育」なのだと。
CITROENさんの息子さんの先生が、子供の頃に好きだったことを教えてあげて欲しいと話されたことと通じるような気がします。
小さいころから、恵まれた環境で、次から次へと大人がいろいろと提供してくれすぎていて、「考える」ということすら材料の提供からはじまっている。
それじゃ、考える欲求は湧いてはこないのじゃないか、とね。
もっと、ストイックな状態にもっていけば、もう少し大人になるのかなぁ、と幼稚な息子を見ていて思います。
読んでいて「はい、先生」って思っちゃいました。
そうなんです。
我が家の息子①は受験生でして…彼は置いといて、問題は息子②の方なんです。
自分で考えて自分の意見を言えない。
褒めると調子に乗るお調子者。
叱るとだまり涙が…。
この難しい時期をどう乗り越えるべきか頭が痛いんです。
息子ちゃん2号、難しい時期なんですか?
うちの息子も、似てるかもしれない。
かなーりのお調子ものだし、考える、という行為が苦手。
しかると、今は「なんなんよー!」とふてくされて自室にこもります。
でも、夫と話しているときは素になり、幼い子どもに返るのです。
marcoさんちも、お父さんに任せてみたらどうでしょう?
日記に引用させていただきました。
事後承諾でごめんなさい。どぞよろしく。
さっそく読みに参ります!