一事が万事、ということで、ひとつのことを極めればなんでもできる、大丈夫、という人がいます。
それとは反対に、ひとつのことしかできず、ほかのことは何一つ満足にできないという人もいます。
人間の姿として、一体どっちが本当なのでしょうか。
このブログで何度も取り上げている、我が社で唯一マスコミの前に出していい「トッキュウ鯛」という、救難専門部隊がおります。
マンガ「トッキュー!」を読んでいた方(BL系二次創作マンガ除く)はご存知と思いますが、この「鯛」は、入鯛したばかりの初任者に対する強化期間が約半年位あります。 この初任者研修鯛鯛長を、10年もの長きにわたって勤め上げ、「鬼の隊長」の名を欲しいままにした人物がいます。
当時、初任者研修鯛は、この鬼鯛長の名を冠し「M上塾」と呼ばれていましたので、以後この方を、「M上塾長」と呼びましょう。
トッキュウ鯛にいたときの塾長は、本当に無敵の存在でした。
トッキュウ鯛や関係者のみならず、横浜地方本社の職員なら、その名を聞けば誰もが震え上がる、「伝説の塾長」として君臨しておりました。
しかし平成9年、塾長に一大転機が訪れます。
なんの因果か、塾長は広島地方本社となんか良くないつながりがありました。本人の出身地だったのか、はたまた奥さんの出身地だったのかは知りませんが、横浜地方本社にいれば、士官を含め、誰もが跪く絶対の存在の塾長が、なぜか突然、広島地方本社に転勤となりました。
塾長の運命は一転しました。
塾長は爾後、広島、呉、岡山県の玉野、高松と転々としましたが、どこに行っても「こだわりの強い、扱いに困るおっさん」以外の評価を受けることはなく、特に玉野時代には、それまでとはまったく質の違う仕事とはいえ、「緊急時の呼び出しに応じない。基礎知識がなく、使えない人」という、これまでとは180度ちがう烙印を押されるに至ってしまいました。
その後、塾長もかつての輝きを取り戻したいと考えたのでしょう。横浜地方本社にある「キドウボウジョ鯛」という、潜水士やトッキュウ鯛の老人ホームみたいな組織に行ってみたり、兵隊養成所の練習船の教官になったりということをしましたが、結局どれもモノにならず、現在、その浪々の身を、4回目の高松支社で横たえています。ちなみにあと数年で定年です。
このことは、いくつもの複雑な「よくない問題」が絡み合っています。解説は省きますが、その問題を列挙しましすと、こんな感じでしょうか。
①兵隊の特技にまったく理解のない会社風土
②救難へのこだわりが強すぎ、ほかの仕事をまったく覚えようとしない塾長の心根
③②に対する周りの人間の無理解
これらが複雑に干渉しあった結果の、残念な人生。塾長の人となり、その凄まじい技術力を知っているだけに、なんか残念な気がします。
そういえば、みんなから根性の塊のように思われている、国民栄誉賞冒険家・植村直己さんですが、冒険やその準備以外は本当に根性がなく、何もできない最低の人だったという話を物の本で読んだことがあります。
「一事が万事」なのか、それとも人は1つのことにしか精神を傾注できないのか。「なんでもこいに上手なし」なのか・・・・
人間とはまことに、複雑なものであるなあ(詠嘆)。
それとは反対に、ひとつのことしかできず、ほかのことは何一つ満足にできないという人もいます。
人間の姿として、一体どっちが本当なのでしょうか。
このブログで何度も取り上げている、我が社で唯一マスコミの前に出していい「トッキュウ鯛」という、救難専門部隊がおります。
マンガ「トッキュー!」を読んでいた方(BL系二次創作マンガ除く)はご存知と思いますが、この「鯛」は、入鯛したばかりの初任者に対する強化期間が約半年位あります。 この初任者研修鯛鯛長を、10年もの長きにわたって勤め上げ、「鬼の隊長」の名を欲しいままにした人物がいます。
当時、初任者研修鯛は、この鬼鯛長の名を冠し「M上塾」と呼ばれていましたので、以後この方を、「M上塾長」と呼びましょう。
トッキュウ鯛にいたときの塾長は、本当に無敵の存在でした。
トッキュウ鯛や関係者のみならず、横浜地方本社の職員なら、その名を聞けば誰もが震え上がる、「伝説の塾長」として君臨しておりました。
しかし平成9年、塾長に一大転機が訪れます。
なんの因果か、塾長は広島地方本社となんか良くないつながりがありました。本人の出身地だったのか、はたまた奥さんの出身地だったのかは知りませんが、横浜地方本社にいれば、士官を含め、誰もが跪く絶対の存在の塾長が、なぜか突然、広島地方本社に転勤となりました。
塾長の運命は一転しました。
塾長は爾後、広島、呉、岡山県の玉野、高松と転々としましたが、どこに行っても「こだわりの強い、扱いに困るおっさん」以外の評価を受けることはなく、特に玉野時代には、それまでとはまったく質の違う仕事とはいえ、「緊急時の呼び出しに応じない。基礎知識がなく、使えない人」という、これまでとは180度ちがう烙印を押されるに至ってしまいました。
その後、塾長もかつての輝きを取り戻したいと考えたのでしょう。横浜地方本社にある「キドウボウジョ鯛」という、潜水士やトッキュウ鯛の老人ホームみたいな組織に行ってみたり、兵隊養成所の練習船の教官になったりということをしましたが、結局どれもモノにならず、現在、その浪々の身を、4回目の高松支社で横たえています。ちなみにあと数年で定年です。
このことは、いくつもの複雑な「よくない問題」が絡み合っています。解説は省きますが、その問題を列挙しましすと、こんな感じでしょうか。
①兵隊の特技にまったく理解のない会社風土
②救難へのこだわりが強すぎ、ほかの仕事をまったく覚えようとしない塾長の心根
③②に対する周りの人間の無理解
これらが複雑に干渉しあった結果の、残念な人生。塾長の人となり、その凄まじい技術力を知っているだけに、なんか残念な気がします。
そういえば、みんなから根性の塊のように思われている、国民栄誉賞冒険家・植村直己さんですが、冒険やその準備以外は本当に根性がなく、何もできない最低の人だったという話を物の本で読んだことがあります。
「一事が万事」なのか、それとも人は1つのことにしか精神を傾注できないのか。「なんでもこいに上手なし」なのか・・・・
人間とはまことに、複雑なものであるなあ(詠嘆)。