昭和4年9月14日に開幕した、昭和4年秋の東京六大学野球の下馬評は「早慶2校の優勝争いだけに注目」というものでした。
早慶のライバル校筆頭・明大は、同年春のリーグを欠場して世界一周の強化旅行に出ていたものの、その道中における疲労の蓄積やチーム内でのゴタゴタ、さらには帰国直後に留守軍と行った練習試合で大敗を喫したことなどに端を発し、名投手安田好信が退部、もう一方のエース中村峯雄は疲労・故障により郷里の山口県に帰省。明治の強さの原動力であった二大エースの不在により、戦力ダウンは誰の目にも明らかな状態でした。
そのほか法大は第42回に登場した日系二世投手・若林忠志がまだ日本式野球に慣れていないため戦力不安定、立大・東京帝大はともに投手力不足…
ということで、早大は開幕から快調に勝利を重ねます。
【法大戦】
開幕戦となった9月14日。延長10回、三塁打で出た水原義明を水上義男がヒットで返し、4-3で勝利。
翌15日。4回に4安打を集中させて一挙7点を奪い、7-1で快勝。
【立大戦】
9月23日、水上義男・伊丹安廣の活躍により、4-3で逆転勝ち。
翌24日。水上・伊丹連日の活躍により5-1で快勝。
【東京帝大戦】
10月2日。東京帝大に2点を先取され、苦しい展開となった早大であったが、6回に1点、9回小川正太郎のヒットで1点を返し延長戦へ突入。延長12回、三原修・伊丹安廣の連続安打で1点をもぎ取り、3-2で勝利。
この試合、1試合5併殺のおまけつきで、堅守も光った。
翌3日。初回、東京帝大が1点を先制するが、早大は3点を奪って逆転。その後壮絶な点の取り合いとなったが、8回の集中打で振り切り、7-6で勝利。
【明大戦】
10月5日。早大は初回裏1点、2回裏に2点を挙げリードするも、六回表に明治が大量4点を挙げ逆転。8回表までに3-6と突き放されるが、8回裏に集中打を加えて一挙5点を奪い鮮やかな逆転勝利。
翌6日。伊丹安廣の3安打・8打点の大活躍により11-5にて完勝。
ここまで見て頂いてわかるとおり、早大はほとんどの試合を1点差、あるいは逆転で勝利しており、乏しい投手力を選手が一丸となって支え、チーム力で勝利をもぎ取っています。
そうした取り組みの精華こそが…そう、リーグ優勝を賭けた大一番、早慶戦でした。
昭和4年10月13日。当日の帝都東京は薄曇り、絶好の野球日和。
神宮球場の各入り口には午前4時から行列ができはじめ、午前10時までに国電信濃町駅に下車したファンの数二万五千!
信濃町・千駄ヶ谷・青山の三方向からの入り口に竹垣を作り、入場券(春リーグ戦における「前売り券廃止、当日券のみ」〔第43回参照〕によって徹夜組が発生、大混乱を招いた反省を受け、前売り制度が復活。)所有者以外は入場お断りにするという措置をとりますが、神宮球場にはあとからあとから、大量のギャラリーが押し寄せます。
それもそのはず、この試合には野球ファンの目を惹かざるを得ない、2つの注目ポイントがあったのです。
①リーグ戦成績、早慶とも8戦全勝の状態での対決
②大正14年秋の復活以来、現在までの早慶戦通算成績はともに7勝
まさに天下分け目の決戦となったこの早慶戦を見ないヤツは野球ファンじゃない!…切符も持たずにやってきたファンの気持ちも、むべなるかなというところです。
早大先攻で迎えたこの大一番、マウンド上には慶大の誇るダブルエースの片方・水原茂。キャッチャーボックスには高松商時代から続く水原の盟友・川瀬。バッターボックスには早大のトップバッター・強打の水原義明。
午後2時ちょうど。球審天知俊一の「プレイボール!」のコールが神宮球場に響き渡り、いまここに、竜虎相打つ決戦の火ぶたが切って落とされました。
【第47回・参考文献】
「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編
「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社
「天才野球人 田部武雄」菊池清麿 彩流社
早慶のライバル校筆頭・明大は、同年春のリーグを欠場して世界一周の強化旅行に出ていたものの、その道中における疲労の蓄積やチーム内でのゴタゴタ、さらには帰国直後に留守軍と行った練習試合で大敗を喫したことなどに端を発し、名投手安田好信が退部、もう一方のエース中村峯雄は疲労・故障により郷里の山口県に帰省。明治の強さの原動力であった二大エースの不在により、戦力ダウンは誰の目にも明らかな状態でした。
そのほか法大は第42回に登場した日系二世投手・若林忠志がまだ日本式野球に慣れていないため戦力不安定、立大・東京帝大はともに投手力不足…
ということで、早大は開幕から快調に勝利を重ねます。
【法大戦】
開幕戦となった9月14日。延長10回、三塁打で出た水原義明を水上義男がヒットで返し、4-3で勝利。
翌15日。4回に4安打を集中させて一挙7点を奪い、7-1で快勝。
【立大戦】
9月23日、水上義男・伊丹安廣の活躍により、4-3で逆転勝ち。
翌24日。水上・伊丹連日の活躍により5-1で快勝。
【東京帝大戦】
10月2日。東京帝大に2点を先取され、苦しい展開となった早大であったが、6回に1点、9回小川正太郎のヒットで1点を返し延長戦へ突入。延長12回、三原修・伊丹安廣の連続安打で1点をもぎ取り、3-2で勝利。
この試合、1試合5併殺のおまけつきで、堅守も光った。
翌3日。初回、東京帝大が1点を先制するが、早大は3点を奪って逆転。その後壮絶な点の取り合いとなったが、8回の集中打で振り切り、7-6で勝利。
【明大戦】
10月5日。早大は初回裏1点、2回裏に2点を挙げリードするも、六回表に明治が大量4点を挙げ逆転。8回表までに3-6と突き放されるが、8回裏に集中打を加えて一挙5点を奪い鮮やかな逆転勝利。
翌6日。伊丹安廣の3安打・8打点の大活躍により11-5にて完勝。
ここまで見て頂いてわかるとおり、早大はほとんどの試合を1点差、あるいは逆転で勝利しており、乏しい投手力を選手が一丸となって支え、チーム力で勝利をもぎ取っています。
そうした取り組みの精華こそが…そう、リーグ優勝を賭けた大一番、早慶戦でした。
昭和4年10月13日。当日の帝都東京は薄曇り、絶好の野球日和。
神宮球場の各入り口には午前4時から行列ができはじめ、午前10時までに国電信濃町駅に下車したファンの数二万五千!
信濃町・千駄ヶ谷・青山の三方向からの入り口に竹垣を作り、入場券(春リーグ戦における「前売り券廃止、当日券のみ」〔第43回参照〕によって徹夜組が発生、大混乱を招いた反省を受け、前売り制度が復活。)所有者以外は入場お断りにするという措置をとりますが、神宮球場にはあとからあとから、大量のギャラリーが押し寄せます。
それもそのはず、この試合には野球ファンの目を惹かざるを得ない、2つの注目ポイントがあったのです。
①リーグ戦成績、早慶とも8戦全勝の状態での対決
②大正14年秋の復活以来、現在までの早慶戦通算成績はともに7勝
まさに天下分け目の決戦となったこの早慶戦を見ないヤツは野球ファンじゃない!…切符も持たずにやってきたファンの気持ちも、むべなるかなというところです。
早大先攻で迎えたこの大一番、マウンド上には慶大の誇るダブルエースの片方・水原茂。キャッチャーボックスには高松商時代から続く水原の盟友・川瀬。バッターボックスには早大のトップバッター・強打の水原義明。
午後2時ちょうど。球審天知俊一の「プレイボール!」のコールが神宮球場に響き渡り、いまここに、竜虎相打つ決戦の火ぶたが切って落とされました。
【第47回・参考文献】
「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編
「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社
「天才野球人 田部武雄」菊池清麿 彩流社
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