集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝 第49回・早大、昭和初の優勝!~昭和4年秋 早慶決勝戦~

2021-04-27 17:35:55 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 慶大は初回、スロースターターの小川に猛然と襲い掛かります。
 先頭の楠見がいきなり三遊間を破るヒットで出塁すると、三番山下実、四番宮武三郎と連続ヒットが続いて楠見が生還して1点を先制。さらに五番井川に四球を与え、一死満塁の大ピンチを迎えた小川。
 しかし小川は一昨日の第1回戦同様、ここから神がかった投球。後続の町田・水原をいずれも投ゴロに仕留め、慶大の攻撃をなんと、1点で凌ぎ切ります。
 慶大は三回裏にも町田重信のタイムリーで1点を追加して2点をリード。しかし早大も四回表、一死満塁から小川のセカンドゴロの間に三塁ランナーが帰って1点を返し、前半戦を1-2で折り返します。

 七回裏、本日大当たりの町田がピッチャーライナーで1点をたたき出し、慶大が1-3と更にリード。
 八回表、死球で出塁した水原を進塁させるべく、われらがオッチャン、2番矢島の代打として登場。
 入念に短打法の素振りを繰り返し、打席に向かったオッチャンでしたが…ここは宮武の球威が勝り、オッチャンは平凡なセンターフライに倒れます。
 しかし、続く四番の森茂雄が左中間を深々と破る二塁打を放ち、水原が生還して2-3。早大の粘りに観客は総立ち。球場全体が騒然としてきます。
 慶大・腰本監督はここで、疲れの見え始めた宮武に代え、投手を三塁の水原にスイッチ。早大は一打同点のチャンスでしたが、ここは慶大の誇る宮武―水原の「黄金の継投」の前に後続を断たれ、点を奪えません。
 そして運命の九回を迎えます。

 九回表、早大の先頭打者は、この日3打席ノーヒット1四球と当たってない西村。
 早大・市岡監督はこの時に当たり、戦況を打開するための切り札を切りました。
 それは誰あろう、この試合スタメン落ちし、監督の真後ろから戦況をじーっと見つめていた、オッチャンの1年後輩・伊達正男。
 伊達は大阪の強豪・市岡中学で鳴らした強打の名捕手。入学直後の昭和3年春のリーグ戦で、いきなり最高打者賞(=首位打者)を獲得したことについては、第39回で触れたとおりです。
 しかし当時の早大には、伊丹安廣という不動の強打者&名捕手&主将がいたため、その後は捕手としての出場機会に恵まれず、控えの捕手や一塁の守備固めなどで、少しずつ試合出場していた時期。
 伊達はのち、捕手としてではなく、早大野球部史上に名を刻む「レジェンド名投手」に変身しますが、それにはもうすこし後のお話。

 「伊達、いくんだ!」
 まったく予鈴なし、突然の代打指名に、不敵で知られる伊達もビビり上げます。
「心臓がドキドキ大波を打つ。体も硬直するのが、自分でもわかった」。
 バット2、3本束ねて持ち、幾度か素振りを繰り返した伊達は、天地が振動するような大声援の中、バッターボックスに向かいます。
 伊達は好調水原の前に、たちまちツーストライクと追い込まれますが、4球目に投じたアウトコースのカーブをなんとかひっかけ、これがショートの頭を超すラッキーなヒットとなって一塁に生きます。
 ここから運命は、早大側に大きく舵を切ります。
 続く九番小川は一塁線にバントを決めますが、この処理を水原が誤り、一塁に悪送球。タマが外野を転々とする間に、伊達の代走佐伯喜三郎が三塁、小川が二塁に進塁し、ノーアウト二・三塁の大チャンスを迎えたのです。
 そして迎える打者は、8番の佐藤茂美。
 佐藤はこの年の春、長野・松本商業から入部したばかりでしたが、強打を買われ、このリーグ戦ではほとんどの試合に先発出場していました。
 しかしこの試合、佐藤はここまで3打数ノーヒットと全くいいところなく、「自信がないから、ベンチの後方にいて、監督の市岡さんの視線を避けて」おり、「代打を出してくれんかな」などと考えていました。
 しかし市岡は代打を告げず、そのままこの大一番の場に、佐藤をぶつけたのです。
 市岡監督の「お前、行け!」という目の合図に、360匁の重いバットをひっつかみ、ベンチを飛び出す佐藤。素振りを繰り返すうち、その眼には鋭い闘志が蘇っていました。

 左打席に入った佐藤に対し、八回表からマスクをかぶった岡田貴佳は、スクイズを警戒してウェストボールを2球連続で指示。佐藤はこれを悠然と見送ります。
 この態度に冷静さを欠いたのか、バッテリーは佐藤との勝負を選択。
 3球目のアウトカーブを佐藤は強振し、これはファウル。バッテリーは「タイミングが合っていない」と判断、4球目も同じコースに同じ球を投じました。
 佐藤はこれを見逃さず、体をタテに二つ折りするようなダウンスイング一閃!
 打球はほぼライナーでセンターに飛びますが、俊足のセンター・楠見幸信が抑えた!…と観客の誰もが思ったその瞬間、タマはまるで、打った佐藤の意思が乗り移ったかの如く、ほんの少し球威を弱めたのです。
 打球は楠見のグラブの下を抜け、芝生の上で大きくワンバウンドしたのち、フェンス方向に勢いよく転がり、左中間フェンスに当たって停止します。
 佐伯、小川は悠々のホームイン。打った佐藤も激走。三塁を回ったあたりで、外野からタマが返ってきますが、佐藤がホームに滑り込む方がほんの少し先でした。
 逆転のスリーランホームラン!
 一塁側の早大応援席からは地鳴りのような大歓声。帽子が舞い、コートが飛び、靴までもが投げられます。
 2点をリードした早大は攻撃の手を緩めず、再び投手に戻った宮武から、伊丹がその足元を抜き、センター前に運ぶタイムリーを放って1点を追加。
 最終回の慶大の攻撃は、代打伊藤・山下実・宮武三郎といった強力打者陣を、小川が見事三者凡退に切って取り、6-3にてゲームセット。
 こうして早大は、大正15年秋以来となる、5シーズンぶりの優勝を成し遂げたのでした。
 
 この日3タコで、まったく当たっていなかった佐藤を、市岡監督はなぜ大勝負の舞台に引っ張り出したのか?実は、この起用には伏線がありました。
 以前もお話ししましたとおり、当時の東京六大学野球部は、技術振興と青田買いを兼ね、オフシーズンに全国の中等学校野球部をコーチして回るのが普通でした。
 佐藤の出身校・松本商業(現・松商学園)は、伝統的に早大のコーチをずっと受けており、市岡もコーチのひとりとして松商の指導に当たっていたのですが、そこで見た佐藤の非凡な打撃センスにほれ込みます。
 このリーグ戦、佐藤は28打数6安打(打率.214)とたいした打率ではありませんでしたが、選球眼がいいこと(四死球6)や不敵な勝負強さが市岡監督に評価され、辛抱強い起用が功を奏しての劇的ホームラン!と相成ったわけです。
 
【第49回 参考文献】
「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編
「日本の野球発達史」河北新報社
「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社

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