tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

伊香保温泉1泊旅行 1日目

2016-01-31 23:01:00 | 旅と散歩と山登り
仕事をやめてから家で過ごすことが多くなった母親を連れ出しての旅行。リクエストのあった伊香保温泉へ。雪が降るといけないから車ではなく電車とバスで、特急電車に乗ろうと思ったがバスとの乗り継ぎがうまくないので普通列車で、しかしロングシートは味気ないのでグリーン車に乗ることにした。グリーン車に乗るのは初めてだ。2階席の眺めが良いのと、駅でのドアの開け閉めにも煩わされない静かさが良かった。もっとも、関西ならわざわざグリーン車に乗らなくともゆったりしたクロスシートの電車に乗れるものだが。長距離列車でもロングシートの車両をはびこらせているのは、グリーン車に客を誘導しようとするJR東日本のいやらしい商魂なんだろう。
【新宿8:50―(湘南新宿ライン)→10:47高崎】

高崎駅の群馬バス案内所で、高崎駅―水沢―伊香保―榛名山―高崎駅の周遊バス切符を買おうとしたところ、榛名山は積雪の影響でバスが運行できないかも知れず、周遊切符の発売も中止している、と。明日は榛名山をめぐるつもりだったので計画が崩れてしまった。とりあえず、高崎駅―水沢―伊香保のフリー切符を買う。コピー用紙に刷ってハサミで切っただけのペラペラの紙切れ。バス会社の台所事情、あるいは気概のほどが窺われる粗末な切符だった。さすがに偽造されるのが怖いのか、裏に社員のハンコが2つ3つ押してあったが。
【高崎駅11:20―(群馬バス)→12:22水沢】

12:50 秋田の稲庭うどん、香川の讃岐うどんとともに「日本三大うどん」をなすという「水沢うどん」の昼食。榛名山から湧き出る水と名産地上州の小麦でできたうどん。ガイドブックで目星をつけていた「三升屋」へ。うどん店が10数軒建ち並ぶこの通り沿いでは地味な方の店構えだが、シンプルに「かけ」と「もり」しかメニューにない潔さが気に入った。しかも、小鉢などもついて値段も500円と、かなりリーズナブル。注文が入ってからうどんを打つので時間は少しかかるが、店内がこざっぱりとしているので落ち着いて待てる。うどんは麺もつゆも期待通りの絶品だった。ふだん食べているふにゃふにゃのうどんはなんだったんだろうと思う。


13:07 食後、すぐそばにある水沢観音へ。1300年の歴史をもつ寺。雪がだいぶ残っているので、木立ちから水滴が雨のように降ってくる。

本堂脇に鳥居があり、石段が続くので登ってみた。飯縄大権現。本堂を裏手から見下ろす。登ってきたはいいが、幅の狭い石段に雪が積もっているので、下るのが大変だった。手すりをつかまりながら後ろ向きに下りた。境内にはまだ真新しい立派な釈迦堂があり、精巧な仏像がたくさん(ここは「坂東33番札所」の一寺だが、33寺それぞれの仏像も)展示されていた。

【水沢観音13:30―(群馬バス)→13:42石段街口】
伊香保温泉と言えばここ、石段街。その一番下にバスが着く。真ん中を温泉の水路が通っているが、最上部の源泉からするとここは「末端」なためか、触っても水同然にぬるかった。その割に湯気は盛大に湧いている。標高700m。気温は低いのだ。

石段は365段あるという。バス停のあった下の県道まで2010年に延長されてその数になった。「温泉街が1年365日賑わうようになってほしい」との繁栄の願いが込められているとか。

石段の真ん中、このガラスの下を温泉が勢いよく流れていくのが見える。1576年頃、武田勝頼が「長篠の戦い」の負傷者を治療しようと、山上の湯元から温泉を引き、石段を作り、中央に湯桶を伏せ左右に振り分け、沿道の屋敷に湯を導くという町並みを造らせたのだという。江戸時代に引湯権を与えられたのは12軒で、今階段沿いにある旅館はその末裔なんだろうか。

振り返ると、雪を冠した山並みが見える。冬ならではのシャープな視界。3つの頂きをもつ小野子山。

14:23 石段を登りつめたところ、伊香保神社。

さらに山腹を奥へ進む。河鹿橋。紅葉の名所というが、今は白一色。そばに「飲泉所」があった。口に含むと渋いサビの味がする。硫酸塩泉。鉄分を多く含んでいるそうで、湯の流れるところはどこも赤茶けていた。飲むと便秘、肥満症、痛風、慢性消化器病、肝臓病などに効能があるという。

道のどん詰まりにある源泉。ここで引き返す。

冬場で日の傾きも早く、冷え込みもあるので、15時のチェックイン時刻に早速宿に入る。山腹の傾斜に開かれた伊香保温泉、どこも平らな道はほとんどなく、登山靴を履いてきたものの、雪の残る凍った路面で滑って転びそうになる。宿の部屋からの眺め。左は小野子山、右は子持山。そのほか、谷川岳、武尊山、日光連山、赤城山なども見える。すぐに温泉へ。

夕食後、廊下に蛭子能収のサインを見つける。その隣には太川陽介、田中律子のサインも。そう、僕の大好きなあの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で、一行がこの宿に泊まっていたのだ!なんたる偶然。嬉しかった。

19:17 夜の温泉街はどうだろう?と、散歩に出る。明治43年から昭和31年まで、渋川駅と伊香保温泉を結ぶ路面電車「伊香保電気軌道」が走っていたという。最盛期には渋川からさらに高崎駅や前橋駅へ、総距離48kmもの路線が伸びていたというから、なかなかの交通網だ。地元住民が廃線後に譲り受けて庭で保管していた車両が寄贈され、かつての軌道跡の公園に展示されていた。渋川から伊香保までは高低差524mで、87カ所のカーブと数カ所のスイッチバックを経ながら登った。逆に伊香保から渋川へは、トロリーポールを架線からはずし、惰性だけで下ったという。

石段の下へ。温泉街とは言え、冷え込む夜、人っ子ひとりいなかった。営業している店もなし。路地裏に演芸場があり、落語を催すようだったが、果たして客は入ったのか。暗い坂道を転ばないよう慎重に歩きながら、宿に戻る。また温泉に入ろう。

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