映画「靖国」の一般公開は2日目を迎えたが、特に混乱もなく、上映が続いている。午後1時には、当日分の850席が完売したという。明日以降、観賞される方は、朝早めに並ぶか、朝チケットを買って上映時間の昼過ぎまで買い物などをするか、どちらかの方法をとった方がよさそうだ。混乱がないという点では、右翼系政治団体も自ら表現者として、「上映すること自体に反対はしない」という方針を打ち出しているようであり、その点は評価すべきだと思う。
実際に、この映画を見れば、「反靖国神社」ではなく、「反戦」でしかないことは明白だ。この映画は、戦死者に対する慰霊を軽んじてはいない。そういう意味で、靖国神社と対立はしていない。しかし、靖国神社が果たした「戦意高揚機能」に対しては、これを問題視するメッセージが伝わってくる。この点で、現在の靖国神社がいまだに自らが果たした「戦意高揚機能」を反省することなく、同じ役割を果たそうとしていると「すれば」、そのことに限定するならば、「反靖国神社」的な部分があるのは否めないだろう。
しかし、もし、そういう意味でこの映画が「反靖国神社」映画だということになるのであれば、それは「戦意高揚機能」を維持し続けようとする「靖国神社」のあり方にこそ問題があるのではないだろうか。
対米戦争という絶対に勝てない戦でかけがえのない命を失った莫大な数の方々の死を「無駄死に」にしないためには、二度と戦争を起こさないための世界戦略をうちたて、これを全世界にアピールし、実践していくほかない。その実践活動において、靖国神社はすばらしい役割を果たすことができる立場にあると信じている。
旧日本軍の一員として中国などで残虐な行為をした方は、いまでも、胸の内で辛い思いをしているはずだ。その思いを想像すると胸が張り裂けそうになってくる。被害者の辛さに共感するのも当然だが、加害者の立場に立たされた辛さを受け止めることも必要だ。だれが好きこのんで非人間的な行為をしたいと思うだろうか…。自分が旧軍の兵士だと想像すると、①あの戦争に大義を求めることで自らを正当化するか、あるいは、②このような辛い思いをさせた当時の政府や軍指導者に対する批判をし反戦に寄与することで自らの悲惨な体験を生かして辛さを昇華するか、しかないように思う。そして、①の方法では、真の意味で癒されることはない、とも思う。
そういう辛い体験をした方々の思いを真に受け止めることができるのは、もしかしたら、靖国神社しかないのかもしれない。
靖国神社が自らが果たした「戦意高揚機能」を反省し、その戦意高揚機能のせいで残虐な行為を行った方々の辛い気持ちを受け入れ、「大変な思いをさせてしまいました。辛い思いをさせたのはあなただけではない。あなた方のような思いを二度とさせませんから…。ともに反戦の道を切り開いていきましょう」と言ってこそ、いまも人には言えないことをさせられた多くの元兵士が、その行為について思うところを公にすることができ、真に癒されるのではないだろうか。
そして、それらの方々の思いと靖国神社の反省を世界中に伝えること、これこそが各国の政府に戦争を起こさせないようそれぞれの市民が働きかけるための大きな力になるはずだ。
このような役割を靖国神社が果たすようになれば、おそらく、首相参拝問題などは消し飛んでしまうはずだ。
…映画「靖国」をご覧になった方はぜひ、ご感想をお聞かせください。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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実際に、この映画を見れば、「反靖国神社」ではなく、「反戦」でしかないことは明白だ。この映画は、戦死者に対する慰霊を軽んじてはいない。そういう意味で、靖国神社と対立はしていない。しかし、靖国神社が果たした「戦意高揚機能」に対しては、これを問題視するメッセージが伝わってくる。この点で、現在の靖国神社がいまだに自らが果たした「戦意高揚機能」を反省することなく、同じ役割を果たそうとしていると「すれば」、そのことに限定するならば、「反靖国神社」的な部分があるのは否めないだろう。
しかし、もし、そういう意味でこの映画が「反靖国神社」映画だということになるのであれば、それは「戦意高揚機能」を維持し続けようとする「靖国神社」のあり方にこそ問題があるのではないだろうか。
対米戦争という絶対に勝てない戦でかけがえのない命を失った莫大な数の方々の死を「無駄死に」にしないためには、二度と戦争を起こさないための世界戦略をうちたて、これを全世界にアピールし、実践していくほかない。その実践活動において、靖国神社はすばらしい役割を果たすことができる立場にあると信じている。
旧日本軍の一員として中国などで残虐な行為をした方は、いまでも、胸の内で辛い思いをしているはずだ。その思いを想像すると胸が張り裂けそうになってくる。被害者の辛さに共感するのも当然だが、加害者の立場に立たされた辛さを受け止めることも必要だ。だれが好きこのんで非人間的な行為をしたいと思うだろうか…。自分が旧軍の兵士だと想像すると、①あの戦争に大義を求めることで自らを正当化するか、あるいは、②このような辛い思いをさせた当時の政府や軍指導者に対する批判をし反戦に寄与することで自らの悲惨な体験を生かして辛さを昇華するか、しかないように思う。そして、①の方法では、真の意味で癒されることはない、とも思う。
そういう辛い体験をした方々の思いを真に受け止めることができるのは、もしかしたら、靖国神社しかないのかもしれない。
靖国神社が自らが果たした「戦意高揚機能」を反省し、その戦意高揚機能のせいで残虐な行為を行った方々の辛い気持ちを受け入れ、「大変な思いをさせてしまいました。辛い思いをさせたのはあなただけではない。あなた方のような思いを二度とさせませんから…。ともに反戦の道を切り開いていきましょう」と言ってこそ、いまも人には言えないことをさせられた多くの元兵士が、その行為について思うところを公にすることができ、真に癒されるのではないだろうか。
そして、それらの方々の思いと靖国神社の反省を世界中に伝えること、これこそが各国の政府に戦争を起こさせないようそれぞれの市民が働きかけるための大きな力になるはずだ。
このような役割を靖国神社が果たすようになれば、おそらく、首相参拝問題などは消し飛んでしまうはずだ。
…映画「靖国」をご覧になった方はぜひ、ご感想をお聞かせください。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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