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今日の筆洗

2024年08月20日 | Weblog

かっこいい男性を指して言う「イケメン」が広く使われるようになったのは2000年前後らしい。今もよく聞くから流行語の類いにしては息が長い▼あくまで言葉の印象なのだが、この「イケメン」、どうも軽い。俗語辞典によるとイケメンの「メン」とは面と「MEN」をかけたもの。と、なると顔の良さや外見だけを評価した言葉であって性格や態度は関係ないか。小欄、言われたことはないが、「イケメン」が上っ面なほめ言葉に聞こえるのはそのせいかもしれない▼悲しみ、孤独。複雑な味わいを持つこの役者を二枚目、色男と呼んでも「イケメン」という軽い言葉は似合わない。俳優、アラン・ドロンさんが亡くなった。その名は二枚目の代名詞であった▼映画『太陽がいっぱい』でドロンさん演じるトム・リプリーが殺した友になりすますためサインを何度も練習する場面を思い出す▼恐るべき犯罪者なのだが、見ているとリプリーを応援したくなるのはドロンさんの顔の良さのせいではあるまい。野望とかなわぬ思い。そんな苦しい役柄がよく似合い、大衆の心をつかんだ▼「ダーバン・セ・レレガンス・ドゥ・ロム・モデルン(ダーバンは現代の男のエレガンス)」。出演した紳士服の古いCM。「フランスでCMに出るのは人気のない俳優」と最初は断ったそうだ。気位の高さも往年の二枚目スターにふさわしい。


今日の筆洗

2024年08月17日 | Weblog
 江崎グリコの「プッチンプリン」。容器を伏せつまみをプッチンと折り、プリンがプルンと皿に載るのを初めて見た幼少期の興奮は忘れ難い▼会社ウェブサイトにある漫画『開発物語』によると、誕生は1970年代。カラーテレビの普及期で、CMの費用は莫大(ばくだい)だったが、プルンと皿に載るさまをお茶の間に流せば売れると踏み切った▼販売の主戦場がスーパーになると小型の品を出した。夕食の材料を主目的に来る主婦に、夕食前の子のおやつには大きいと嫌われないため。コンビニが増えると大きめの品を揃(そろ)え、店によく来る若い男性に売れた▼時代に応じ決断や工夫を重ねた人気商品の試練である。システム障害で在庫管理に支障が起き4月からプッチンプリンや「カフェオーレ」などが出荷停止に。1~6月期の会社の純利益は前年同期から半減した▼各種プッチンプリンなどの出荷は最近、順次再開されたが、約4カ月も店の棚から人気商品が消える事態になるとは、デジタル時代は恐ろしいものだ。グリコは再発防止と他社製品に奪われた棚の奪還に努めるという▼先の『開発物語』はこう言う。「味や風味は守りつつ、時には大胆な改革・手法で定番デザートとしての確固たる地位を築き上げてきた! そう、この挑戦に終わりはない!」。地位はたゆまぬ努力なしには守れない。味と違って戦いは甘くないのだろう。
 
 

 


今日の筆洗

2024年08月16日 | Weblog
終戦の日の翌日の1945年8月16日。福井の敦賀駅では北陸線上下各8本の旅客列車が発着した。原田勝正著『日本鉄道史 技術と人間』によると、その日の発着時刻を記録した手書き資料が残されていた▼上りは青森など遠隔地発の列車が100分超遅れたが、比較的近い金沢以西発の列車はおおむね30分以内の遅れに収まった。特筆すべきは旅客列車の運休が1本もなかったことである▼北陸線に限らず日本では終戦を迎えても列車は走った。敗戦という未曽有の事態にあっても、自分の仕事に徹した鉄道員たちがいた▼79年後の今日16日、東海道新幹線は東京-名古屋間で始発から終日運休する。台風7号が接近するため、事前に発表された計画運休である▼素人的には、何も丸一日運休しなくてもと考えてしまうが、安全運行を旨とするプロが危険や混乱の回避には必要と判断したのだろう。焦土でも定時運行に努めるのが日本人なら、計画に皆が従い混乱を回避するのも日本人らしい気がする。お盆休みに日程変更を強いられた人の労苦を思い、風雨で線路などに被害が出ないことを祈る▼終戦後の輸送を記すために旧国鉄が編んだ『鉄道終戦処理史』には「全国民ひとしく虚脱状態のさ中にあつて人々の心にほのかな希望の光をともしたのは『鉄道は動いている』という事実であつた」とある。鉄路とは貴いものである。
 
 

 


今日の筆洗

2024年08月15日 | Weblog

レールが壊れているのを鉄道の線路番が見つける。列車がやってくれば脱線する。どうするか。ロシアの作家、ガルシンの短編『信号』である▼すぐに列車を止めなければならないが、方法がない。線路番は決断した。自分の腕に小刀を突き立て、血で旗を染め、その旗で列車に危機を伝えた▼壊れたレールへと向かう自民党という列車。ご自分が身を引けば、救えると考えたか。岸田首相。次の党総裁選に出馬せず、首相を退任する意向を表明した▼自分がやめることで自民党が変わることを示したかったとおっしゃった。おやめになる首相にあまり皮肉なことは申し上げたくないが、コラム書きの性分で「美談」にはどうも眉につばをつけたくなる。総裁選に出馬したところで、岸田さん、果たして当選できたかどうか▼出馬をあきらめるのならば党にとって最も役立つ方法でというのが本当のところかもしれない。なるほど「人情芝居」なら危機にある党のため、すべての責任を背負って静かに退くという筋書きは悪くない。この手の話に弱いという方もいるか。首相の退任と総裁選の盛り上がりが不振にあえぐ党の潮目を大きく変える可能性はある▼会見で今後も一兵卒として経済政策などに取り組むとしきりに強調していた。この人、いつかはもう一度首相にという夢を捨てていないのでは…。そこまで、疑っては気の毒か。


今日の筆洗

2024年08月14日 | Weblog

イソップにヒツジを襲わないオオカミの話がある。オオカミがヒツジの群れの後ろをついて歩いている▼最初、羊飼いはオオカミに目を光らせていたが、悪さをしないオオカミを見て、ヒツジの見張り役になるのではと考えた。ある日、羊飼いはヒツジをオオカミのところに残したまま町へ出かけた。オオカミは好機到来とばかりにヒツジを襲った。それはそうだろうて▼大地震というオオカミを目の前にしている気になる。巨大地震への注意を呼びかける南海トラフ地震の臨時情報から14日で6日となった▼幸い、南海トラフ地震の想定震源域周辺で巨大地震につながるプレート異常などは今のところ確認されていない。このまま地殻の大きな変化がなければ、15日で臨時情報の注意の呼びかけは終了になるという。オオカミがこのまま「悪さ」をしないまま立ち去ることを願う▼地震臨時情報によって巨大地震を現実のものとして意識したとき、日ごろの備えがいかに不十分だったかを気づかされたという方は多いはずだ。残念ながらSNS上には「○日に地震が起きる」などの根拠のない偽情報や気分の悪いデマも流れている。非常時にこの手の流言飛語が混乱と不安をあおることを思えばこれにも効果ある対策が必要だろう▼この数日間が教えた備えの不足や対策の穴を急いで埋めたい。オオカミはいつかヒツジを襲ってくる。


今日の筆洗

2024年08月13日 | Weblog

「ふうせん持った子がそばにいて、/私が持ってるようでした」。パリ五輪の閉幕に、金子みすゞの「ふうせん」を思い出した▼お祭りの日の光景だろうか。「ふうせん」を持っている子を見れば、自分までも「ふうせん」を持っているような気がして、そのうれしさが伝わってくるというのだろう▼五輪の選手たちが手にしているそれぞれの「ふうせん」を空想する。ふくらませているのは競技への熱や努力か。家族や幼き日の記憶、夢も詰まっているはずだ。選手それぞれの「ふうせん」を見て、こちらの心も高鳴る。同じ「ふうせん」を持っている気になり、声を上げる。がんばれ。負けるなと▼世界中から集まったつわものたちが政治もむごい現実も無関係にただ、目の前の試合に集中し競い合う。そして笑い、泣く。異論もあろうが、やはり五輪は続いてほしい。どこの国の人間も同じ「ふうせん」を持つ同じ人間であることをこれほど教えてくれる祭りはあるまい▼「ぴい、とどこぞで笛が鳴る、/まつりのあとの裏どおり」。幸運にも「ふうせん」の中にメダルを入れて帰る人もいる。君のには入ってない? 気にすることはない。メダルの代わりに入っている後悔や反省もまた「ふうせん」を大きくする▼「ふうせん持った子が行っちゃって、/すこしさびしくなりました」-。次はパラリンピック。28日開幕である。


今日の筆洗

2024年08月10日 | Weblog
南海トラフ沿いの紀伊半島沖を震源に1944年12月に起きた昭和東南海地震の犠牲者は千人を超えたが、戦時の情報統制で詳細は報じられなかった。愛知の軍需工場などの損壊を敵に隠したかったらしい▼愛知の郷土史家が人々から「学徒動員された先輩が、工場の煙突が倒壊して死亡した」といった証言を集め、それを同僚が3年前に記事にすると「私も話したい」と訴える人が多く現れた。戦時は地震の話を口にできぬ空気があり「死ぬ前に話しておきたい」と語る人もいたという▼南海トラフ沿いでは昭和東南海地震の2年後に昭和南海地震が起きた。また大きな地震が連動して起きるのか。南海トラフ沿いの宮崎・日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が一昨日あり、気象庁が「臨時情報」を出して巨大地震への注意を呼び掛けた▼巨大ではなかったが、昨夜も関東で揺れた。要注意は1週間程度という。15日の終戦記念日ごろが目安か▼起きた地震の詳細も隠された戦時とは対照的に、先に起きうる地異の情報も共有できる現代。冷静にいかし、非常持ち出し袋の中身の確認などで備えたい▼戦争と昭和東南海地震を経験したある女性は、戦後は穏やかな日々だったといい「平和で何事もなく、ありがたい、ありがたいと思っているんです」と語ったそうだ。戦没者を思う8月。これ以上揺れず、何事もないことを祈る。
 
 

 


今日の筆洗

2024年08月09日 | Weblog
ある外国人著述家は古い日本の美しい風俗や建築が残るのは北陸の某地方と知り、来日すると訪れるが、それがどこかは著書で明かさない。知られると多くの人が押し寄せ、特色が失われるのを恐れるからという。作家の谷崎潤一郎が昭和初期に随筆『旅のいろいろ』に書いている▼谷崎自身も喧噪(けんそう)を離れる旅を愛した。すいていて安く過ごせる土地や旅館を見つけても文に書くことは避けたという▼訪れる場所を皆が交流サイト(SNS)に載せ、穴場を穴場のまま維持するのが難しい現代。今年1~6月に日本を訪れた外国人客は累計約1778万人で、上半期で過去最多だったという▼京都の市バスが混雑するなどの日常生活への弊害や、訪問先の三大都市圏への偏りが課題。政府は全国に35ある国立公園へ誘客を図る方針でリゾートホテルを誘致する案も報じられた。環境保護との両立を前提に旅先を地方に散らしたいよう。自然を守りつつ、特定の地に観光客を集中させず全体として混雑を和らげられるのなら、考えてもいい話か▼谷崎は混雑する急行列車ではなく鈍行を好み、関西在住時に大和路などの車窓をのんびり楽しんだ。狭い範囲を時間をかけて回るのがよく「今まで平気で通り過ぎていた土地に、意外な興味を見出(みいだ)すことがある」とつづった▼谷崎のように喧噪を避ける通の旅人が増えれば、日本は幸せだろう。
 
 

 


今日の筆洗

2024年08月08日 | Weblog
東北三大祭りのひとつ、仙台の七夕まつりが始まっている。期間中、200万人もの人を集めるというからにぎやかなものだ▼仙台で七夕が盛んになったのは伊達政宗公が藩を挙げて奨励したおかげで、子どもの技芸向上などを願ってのことだったとか。7月7日ではなく、月遅れの8月に行うのは1カ月遅らせることで江戸時代からの季節感を明治の新暦採用後も守りたかったためと聞く▼ところ変わって東京・阿佐谷の七夕まつり。こちらも8月の開催で今年は昨日7日から12日まで。アーケード街をちらっとのぞけば、名物の張りぼて飾りが目に楽しい▼始まりは1954(昭和29)年。こちらの8月開催は旧暦も江戸の季節感も関係ないようだ。「二八の涙月」とはよくいうが、2月と8月は商売が低調になりやすい。暑い夏、商店街に客足を取り戻す工夫が8月の七夕だった。なじみの飲食店に聞けば年間売り上げのかなりの部分を期間中に稼ぐらしい▼七夕に対抗心を燃やしたのがお隣の高円寺というのがおもしろい。57年に「ばか踊り」なるイベントを始め、これが今では100万人規模が集まるという「東京高円寺阿波おどり」(今年は24、25の両日)となる▼苦しいときにひねりだした知恵と工夫が「東京名物」にまでなった歴史がたくましい。七夕と阿波おどりが終われば中央線沿いに秋が少しずつ近づいてくる。
 
 

 


今日の筆洗

2024年08月07日 | Weblog
「一束(いっそく)」とは噺家(はなしか)の符丁で百のことをいう。明治、大正期の落語家、五代目林家正蔵が「一束」を売りに高座に出ていたそうだ。つまりは100歳▼古今亭志ん生の『なめくじ艦隊』によると「一束十五」(115歳)まで生きたとあるが、さすがにこれは噺家のホラだろう。昔のことで諸説あるが、100歳前後で亡くなったようだ▼長生きも芸のうち。おまけして「一束米丸」と声を掛けて見送るとする。新作で売った現役最高齢の落語家、桂米丸さんが亡くなった。99歳。90代でも高座を務めた大正生まれの芸が消えるのが寂しい▼入門は終戦直後というから師匠の古今亭今輔は新時代の噺家として育てたかったのだろう。前座修業を一切させていない。教えた古典落語は「がまの油」の一席のみ。「古典が土台」といわれる世界にあって新作落語だけで育った新作の申し子だった。角のない高い声とやや速めのテンポ。会社風景や団地住まいを描く新作によく似合った。くすぐり(小さな笑い)を積み重ねた展開は最後に大きな笑いを生んだ▼研究熱心で芝居をよく見ていたそうだ。ある席亭がこぼした。「新作の米丸が勉強していて古典の連中が不勉強じゃ仕様がない」▼200近い作品を残した。その数々が昭和、平成、令和の庶民を描く「古典」として注目される日が来るか。今から「一束」年後の寄席を思い浮かべる。