野呂美香さんお話会レポート
チェルノブイリへのかけはし 勉強会
~子どもと自分たちをまもっていくために~
「3.11以降、大人の生きる意味は何か問われている。―――子どもたちを生き抜かす、これ以外にありません。日本政府は経済が立ち行かなくなるからと放射能汚染された食べ物に対する基準も甘く流通させている。(今の日本の基準は核戦争が起こって汚染されてしまった所ばかりになった際のもの)経済のために子どもたちを犠牲にするなら、それは経済の作り方が間違っているんです。」
チェルノブイリの原発事故後周辺地域(汚染区域)に住む子どもたちを“一時的にでも避難させ、放射能の影響のない場所で暮らさせると体から放射能が排泄されて健康を取り戻し始める”とドイツのボランティア団体が世界に向けて呼びかけた。野呂さんは北海道で夏休みのホームステイに子どもたちの保養を受け入れるボランティア活動を始めた。が、2011年は呼べなかった。代わりに日本からイタリアへ保養させてもらった。
ロシアの廃村になった村へ。チェルノブイリ原発事故から6年後。シンチレーションカウンターで測定した結果は0.412μSv/毎時。ここでは、マンガも読まない、アニメテレビも見ない、ゲーム何て持っていない子どもたちが8割も一斉に目が悪くなった。(被爆と証明はされず)
そこは26年後の今も廃村である。
郡山、3月27日の測定結果は8.788μSv/毎時だった。福島の事故による被害はチェルノブイリの1/10だと言われていたはずなのに。何も知らされていない市民が親子で自転車に乗っていた。1μSv屋内退去、ヨード剤投与が当たり前。旧ソ連でも立ち入り禁止にするような場所に放置されていた。
ベルラーシでも、事故後せっかく学校の地下に準備されていたガスマスクとヨード剤を事実隠蔽のために使用せずに居た。子どもたちは翌日外を行進したことが言われていましたが、日本では、安全神話のために何の備えもなく、避難訓練も必要ないとしていなかった。そして、事実隠蔽は同じくあった。事実を知らない国民は皆それぞれの場所で被爆してしまうこととなった。遅れて出た避難勧告は20キロ圏内となった。旧ソ連でさえ立ち入り禁止区域にするだろう土地に放置されている。自主避難という問題を突きつけられたまま。
そして、今福島県にいる人たちの中には意見の食い違いから、友人と、家族間で不和が生じている。安全神話の続きを信じたい人と、事実を知って、本当に必要なものを求めている人との間に大きな溝が出来ている。
東京、福島で鼻血が止まらない子どもがいても、医者はその子が鼻をいじったから言うだけ。ベルラーシの医師によると明らかに放射能の影響だと言ったとのこと。
2,3年前、広島で被爆した人の検体(骨、腎臓)から黒い線が細胞の中に確認できたと発表があった。死の灰が体に取り込まれたもので、それはプルトニウムであった。放射線は今も出ていた。(この細胞は癌になっていない一見正常な細胞であった。)
原子力産業を優先して100ミリシーベルト(年間)を許している日本はファシズム以外の何でもない。放射能に対して嫌と言うのもダメと社会がなってきている。PTSDとなってしまう。
瓦礫処理にしてもセシウムだけで安全と言っている。ストロンチウムや他にも放射性物質で寿命のずっと長いものもある。セシウムは二年半で自然に減る。今処理をしても作業する人も被爆する。
東京は今0.090μSv/毎時。(普通では自然放射能で0.039μSv/毎時)高くなっている。
ウクライナのベラルーシでは、除染はしていない。無理だということで。日本へのアドバイスとして内部被爆に気をつけるように言ったと言うが、なのに日本では対策を取っていない。何も学ぼうとしていない。風評被害をするなと地産池消と言ったり、東北を経済的に助けようと言うことで汚染された牛乳も飲ませている。
放射能の怖さ・・・、チェルノブイリ原発に真っ先に消火のために飛び込んでいった消防士はすごい被爆をして、彼自身の体が放射能と化したので、治療に誰も近づけない状態となった。奥さんが近くで看護して、奥さんも一年後に癌で亡くなった。彼の遺体は普通に埋葬できず、鉛で固められた。
日本では内部被爆について知らされていなかった。当時原爆の後遺症や、体調不良を調べようとした肥田先生は仲間も銃を向けられて脅された。(米軍)内部被爆、原爆ブラブラ病(まだ病気ではないが抵抗力がなく、集中力もなく、疲れやすい。慢性の被爆症である。
チェルノブイリのかけはしでは、ホームステイ(保養)をさせている一ヶ月の間に子どもたちの止まっていた背が伸びだす。髪の毛が伸びる、目の下の隈が消える(甲状腺が悪いとなる)。
放射線→成長障害、福島県でも身長の伸びない子どもがいるが、外遊びをさせないからと言われている。
イギリスは電磁波について近寄らないようにと呼びかけた。はっきりわかっていないが、予防原則の対処をしている。日本政府は証拠がないから問題ないという考え。証拠とは被害が出たと言うこと。
柳沢桂子さんの本・・・。“人間は核に手を出してはいけない”
医師ジェコフスキー氏の本・・・心筋梗塞が増えたこと。
旧ソ連:0.385、0.628など1ミリシーベルトでは、大人でも健診にサナトリウムに行く。
ベラルーシでは、2003~2010年の間で健康な子どもが減っている。当時子どもだった人が30才となり、親になっている。
ベラルーシで平泉を測った。学校で5μSvあったので、PTAに教えたとのこと。玄米を食べて微量栄養素のミネラルを摂ることは大事である。野菜、果物、発酵食品を摂ること。
最後にベラルーシの子どもたちからフクシマの子どもたちへ宛てた手紙を見せてもらいました。
「僕たちは生き抜いたから、フクシマのみんなも生き抜いて」
チェルノブイリへのかけはし 勉強会
~子どもと自分たちをまもっていくために~
「3.11以降、大人の生きる意味は何か問われている。―――子どもたちを生き抜かす、これ以外にありません。日本政府は経済が立ち行かなくなるからと放射能汚染された食べ物に対する基準も甘く流通させている。(今の日本の基準は核戦争が起こって汚染されてしまった所ばかりになった際のもの)経済のために子どもたちを犠牲にするなら、それは経済の作り方が間違っているんです。」
チェルノブイリの原発事故後周辺地域(汚染区域)に住む子どもたちを“一時的にでも避難させ、放射能の影響のない場所で暮らさせると体から放射能が排泄されて健康を取り戻し始める”とドイツのボランティア団体が世界に向けて呼びかけた。野呂さんは北海道で夏休みのホームステイに子どもたちの保養を受け入れるボランティア活動を始めた。が、2011年は呼べなかった。代わりに日本からイタリアへ保養させてもらった。
ロシアの廃村になった村へ。チェルノブイリ原発事故から6年後。シンチレーションカウンターで測定した結果は0.412μSv/毎時。ここでは、マンガも読まない、アニメテレビも見ない、ゲーム何て持っていない子どもたちが8割も一斉に目が悪くなった。(被爆と証明はされず)
そこは26年後の今も廃村である。
郡山、3月27日の測定結果は8.788μSv/毎時だった。福島の事故による被害はチェルノブイリの1/10だと言われていたはずなのに。何も知らされていない市民が親子で自転車に乗っていた。1μSv屋内退去、ヨード剤投与が当たり前。旧ソ連でも立ち入り禁止にするような場所に放置されていた。
ベルラーシでも、事故後せっかく学校の地下に準備されていたガスマスクとヨード剤を事実隠蔽のために使用せずに居た。子どもたちは翌日外を行進したことが言われていましたが、日本では、安全神話のために何の備えもなく、避難訓練も必要ないとしていなかった。そして、事実隠蔽は同じくあった。事実を知らない国民は皆それぞれの場所で被爆してしまうこととなった。遅れて出た避難勧告は20キロ圏内となった。旧ソ連でさえ立ち入り禁止区域にするだろう土地に放置されている。自主避難という問題を突きつけられたまま。
そして、今福島県にいる人たちの中には意見の食い違いから、友人と、家族間で不和が生じている。安全神話の続きを信じたい人と、事実を知って、本当に必要なものを求めている人との間に大きな溝が出来ている。
東京、福島で鼻血が止まらない子どもがいても、医者はその子が鼻をいじったから言うだけ。ベルラーシの医師によると明らかに放射能の影響だと言ったとのこと。
2,3年前、広島で被爆した人の検体(骨、腎臓)から黒い線が細胞の中に確認できたと発表があった。死の灰が体に取り込まれたもので、それはプルトニウムであった。放射線は今も出ていた。(この細胞は癌になっていない一見正常な細胞であった。)
原子力産業を優先して100ミリシーベルト(年間)を許している日本はファシズム以外の何でもない。放射能に対して嫌と言うのもダメと社会がなってきている。PTSDとなってしまう。
瓦礫処理にしてもセシウムだけで安全と言っている。ストロンチウムや他にも放射性物質で寿命のずっと長いものもある。セシウムは二年半で自然に減る。今処理をしても作業する人も被爆する。
東京は今0.090μSv/毎時。(普通では自然放射能で0.039μSv/毎時)高くなっている。
ウクライナのベラルーシでは、除染はしていない。無理だということで。日本へのアドバイスとして内部被爆に気をつけるように言ったと言うが、なのに日本では対策を取っていない。何も学ぼうとしていない。風評被害をするなと地産池消と言ったり、東北を経済的に助けようと言うことで汚染された牛乳も飲ませている。
放射能の怖さ・・・、チェルノブイリ原発に真っ先に消火のために飛び込んでいった消防士はすごい被爆をして、彼自身の体が放射能と化したので、治療に誰も近づけない状態となった。奥さんが近くで看護して、奥さんも一年後に癌で亡くなった。彼の遺体は普通に埋葬できず、鉛で固められた。
日本では内部被爆について知らされていなかった。当時原爆の後遺症や、体調不良を調べようとした肥田先生は仲間も銃を向けられて脅された。(米軍)内部被爆、原爆ブラブラ病(まだ病気ではないが抵抗力がなく、集中力もなく、疲れやすい。慢性の被爆症である。
チェルノブイリのかけはしでは、ホームステイ(保養)をさせている一ヶ月の間に子どもたちの止まっていた背が伸びだす。髪の毛が伸びる、目の下の隈が消える(甲状腺が悪いとなる)。
放射線→成長障害、福島県でも身長の伸びない子どもがいるが、外遊びをさせないからと言われている。
イギリスは電磁波について近寄らないようにと呼びかけた。はっきりわかっていないが、予防原則の対処をしている。日本政府は証拠がないから問題ないという考え。証拠とは被害が出たと言うこと。
柳沢桂子さんの本・・・。“人間は核に手を出してはいけない”
医師ジェコフスキー氏の本・・・心筋梗塞が増えたこと。
旧ソ連:0.385、0.628など1ミリシーベルトでは、大人でも健診にサナトリウムに行く。
ベラルーシでは、2003~2010年の間で健康な子どもが減っている。当時子どもだった人が30才となり、親になっている。
ベラルーシで平泉を測った。学校で5μSvあったので、PTAに教えたとのこと。玄米を食べて微量栄養素のミネラルを摂ることは大事である。野菜、果物、発酵食品を摂ること。
最後にベラルーシの子どもたちからフクシマの子どもたちへ宛てた手紙を見せてもらいました。
「僕たちは生き抜いたから、フクシマのみんなも生き抜いて」
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