ひかりとしずく(虹の伝言)

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信田さよ子さんの本『加害者は変われるのか?』DVと虐待をみつめながら~ 沖縄を考える読書会で

2021-01-19 | ともこレポーターによる記事
とある読書会にてこの本を題材に、話し合いがありました。メンバーは大学の先生が数名と、教え子の学生さん、市民活動団体の方、沖縄の米軍基地集中に対しての活動(基地引き取り運動の)グループから二名(普段の職業は、野菜の配送業者、看護師)という構成でした。

読書会の様子の前に、この本と著者について。著者の信田さんは東京でカウンセリングセンターを設立して、DV、虐待に対しての活動をされてきた方です。そして、ジェンダーについて問題を提議しつつ、加害者の更生プログラムを大切であるとしています。加害者側が自分が加害者だと気付くことがその第一歩だとのこと。さて、今回、この本をテーマに取り上げた理由から。

主催者のFさん:沖縄に応答する会@新潟(基地引き取り運動)メンバー
彼がこの本を選んだのは、沖縄への日本の本土での態度を結び付けて読み進めたのだとのこと。一方、家庭内を翻ると男として自分も妻や子供に対しての加害性に気付いたと話していました。ちゃんと学ばないとならないと思ったとのこと。
本書の中にもあるが、家庭は無法地帯。DV・虐待をやっている人は、相手が悪い、と、自分の行為を正当化している。加害者が気付かないままいる。そして、得てして、外では「良き人」である。
沖縄に対して、日本には憲法もあるのに沖縄は米兵の無法地帯。この本では加害者は自らが加害者であるという事実を自覚するということが始まり、とあった。沖縄に対して本土にいる人間は、米軍による被害が起きると難色は示すものの、何もアクションしていない。これは自覚のない加害性を含んでいるのではないか?

Sさん:Fさんの同僚で大学の先生
家庭というものを上手く行かせるのは妻(女性)の役割。幸せな家庭とは幻想で、女性のしんどさがあると。仕事柄、自分がもしこの本を学生に読ませるとしたら、と考えてしまったとのこと。著者の家族関係の再生のためには加害者が自分を庇護しないためにもきちんと加害者と被害者を分けるべきだと言いながらも、それを一概に分けられないと矛盾を書いている点をどうとらえるか、というテーマで宿題を出すと話していました。
関連図書としてお勧めの本も紹介されていました。
・「ヌヌ 完璧なベビーシッター」家庭名における女性の役割について
・「10代から知っておきたいあなたをとじこめるズルいことば」“あなたのためを思って”から始まる言葉はハラスメントである。支配が背景にある。優しさと暴力性がある。一見にこにこと幸せのために言っているようだが、状況定義があり支配されたものである。

Mさん(市民活動団体):
以前だとDV夫から被害者の妻は逃げなさいと言われてきたが、この本ではすぐ別れず、家
庭の再生も考えている。

Kさん:
DVする夫は自分が加害者だと気づかない。気づけないから気付かせる作業が必要。日本は
更生プログラムと言えないものしかない。制度が出来ると良い。加害者に対して、正義を振
りかざして自覚を押し付けるのではなく、カウンセリングでは非暴力に着地させる。
「正義の基準は自分にある」正義をめぐる闘争は回避する。

Kさん(男性):
家庭―閉ざされた空間 守られて安全 裏を返すと第三者が入れない
沖縄も、開かれていたら変わるか?と、考えた。第三者とはこの場合、国連など。

Mさん:大学生
現在大学で、沖縄に米軍基地があるから性犯罪が起こっていること、軍隊が女性蔑視や同性愛者に対しての偏見など研究しているとのこと。

Hさん:
日本で広告に女性の裸に近い容姿が人目に晒されいることに対して、男性が求めているだろうとされていることは、男にとっても失礼な話であると。性欲を抑えられない存在だと決めつけられているようだと。今はLGBTの存在も認められていて多様性が表れてきた。

H(私):看護師として在宅、高齢者施設での看護業務に従事しながら二児の母
家庭内のDV,虐待も社会におけるジェンダーの捉え方から生じているのではないか?母親をサポートする存在の皆無、家庭内での母親のストレス、社会の中での女性の立場について、本当の平等とは?男性とまるっきり同じ扱いが良いことではない。「Me too」、「フラワーデモ」で女性たちが訴えていることをもっと話し合えるといい。


実は読書会の中で読んでいくスタイルと思い、読み終えておらず、実は虐待について語られる中で、加害者の親の生育の影響の大きさなど書かれていたのを読み、辛くて読み進めることが躊躇されていたのでした。
私が子供だった時、母親が感情的に怒って叩くのに、意見できない存在でした。そして、自分もまた、思い通りにならないイライラを子どもにぶつけて権力を振りかざすことに罪悪感を持たずにいました。躾、教育と思って、感情的に怒るのは、自分がされてきて許せないことだったはずなのに。今は親元を離れた二人の子どもたちが健全な生活を送ってくれることを願っています。

加害者という言葉、不本意でそうなったにせよ、責められて当然の存在ですよね。世界が回っている中で、いかに罪を犯さないで生きることが、どんなに慎重にいたとしても難しいです。例えば、肉食にしても、電気エネルギーの消費にしても。(電気のある生活の便利さを享受することを当たり前のように思っていた。そこには、原子力発電所がこんなに沢山小さな島国に建設されていた。そして、原発事故がひとたび起きてしまったら、公平な暮らしが保証されていない社会で、平和ボケとか言われても法律や治安に守られているからだと思っていたら、沖縄を切り捨てた平和だった。

一昨年末から世界に起きた変化Covid-19の感染症発生という中でも中止されない辺野古新基地建設。沖縄の人々が県民投票で民意を示したというのに。おかしくないですか?政府が止めないから仕方ないですか?本土の日本人も声をあげましょう。勇気が必要ですが。

いじめには被害者と加害者の他にもう一つの立場があります。傍観者です。被害者からすると、傍観者もまた、加害者です。


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