ひかりとしずく(虹の伝言)

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ブータン  ③  ブータンは現代の桃源郷になれるか?

2012-05-22 | ポルカさんのちゃぶ台だよりから
日本の江戸時代にスリップしたような面影をもっていたブータンも、最近首都ティンプーなどは急速に都市化が進んでいるという。民族衣裳ゴ・キラの布地もインドから機械折りの安価なものが流通。特にインターネットテレビの導入によって世界の情報が一瞬のうちに入ってくる。「陸の孤島」「秘境」「桃源郷」というイメージは徐々に変容していくに違いない。「近代化はするが西洋化はしない」とは四代国王の言葉であるが、若い世代は西洋の刺激に敏感に反応していくのでは、と予想される。

鎖国から明治維新、と西洋文化の導入、西洋に追いつけ追いこせの経済政策をとってきたわが国日本。日本の伝統文化は衰退、消滅の危機に瀕している。ブータンが「ブルータス、おまえもか」とならないように私は切に願う。でも私は次の二点からブータンに期待する。不完全な人間の為すこと故GNHの理想の100%成就とはありえない、私は60%達成でいいと思う。そしてその60%をブータンはかなえてくれるのではないかと。理由は・・・一つは小さい国だから。二つめは政教一致の国だから。
(一) 小さい国だからできる
 ブータンの国土面積は日本の九州位だという。そして人口は約70万人(東京都大田区の人口と同じ)。国土は険しい山岳と急崚な渓谷によって分断され谷ごと、村ごとに言語が違うといわれるほど多様で複雑な文化を持つ。また山岳の牧畜民と中標高地帯の農耕民、南部亜熱帯と高度による多様性もある。(ちなみに国際空港のあるパロ、そして首都ティンプーの高度は2500メートル位。人によっては空気の薄さを感じ、息切れ、頭痛、吐き気などの症状をきたらすらしい。しかし、どこに行くにも1000メートル以下の谷底に下りたかと思うと3000メートル以上の峠を越える、という高度馴化のくり返しで慣れやすいともいわれる。)

ヒマラヤ山脈を背にするブータン。その国土の多様性があるとしても単純に言えることは「小さい国」だということ。「小さい国」といえばモナコ王国やバチカン市国を思い出す。それほどでないとしても私は「小ささ」に注目したい。GNHという理想は小さい国だから達成できる。否 逆に言って小さくなければ達成できないのではないか、私の推論である。

ここで私の個人的体験を聞いてほしいと思います。私はこの三月から所属する教会を変えました。ブータンとは全く関係のないある理由からです。今までいたA教会は信徒数1000人を超える教会で新潟狂句三県のうち一番大きい教会でした。今度移ったのはその一割弱の小さいT教会です。日曜日の礼拝に出席する350人から約50人のこじんまりしたコミュニティに身を置いて感じたことは家庭的なあたたかさでした。A教会では顔はわかるけど名前も住む所も職業もほとんどわからない。ごく一握りの人としか交流できなかったのです。(私の内気な性格も原因しますが)
T教会は学校の一クラスの集団規模ですから新入りの私の「初めての顔」にすぐ声がかけられる。色々世話してくださる。中略

物事は表裏一体ですから「小さい共同体」には小さい故のマイナスは当然予想されます。濃密な人間関係はうまく機能している時は喜びをもたらしますが、反転するとうっとうしくなるのが世の常ですから。(覚悟しています。)ブータンの小ささに注目しましたのは自分のこういう体験を重ね合わせたからです。ですから現国王の次の言葉にとても共感しました。
「私は常にわが国のサイズは最高の利点となると信じてきました。なぜなら小さい国と少ない人口は国としてよりうまく管理していけるからです。」
小さい国ゆえのメリットを国王は最大限に活用しておられる様子です。国民との意思疎通をはかるために絶えず顔と顔の触れ合う機会をもつ。昨年ご成婚した若い国王夫妻は式場の町(プナカ)からティンプーまで歩いて沿道の国民に挨拶し祝福を受けたという。オープンカーのパレードではなく徒歩のパレード!昼食も抜きで歩き続け、宮城にたどり着いたのは真夜中だった由。このエピソードに王室と国民の距離が以下に近いかがうかがい知れる気がします。これは「小さい国」だからこそ可能です。「家族国家」ともいえるブータンだからこそ次のような五代国王戴冠式のことばも生まれてくるのでしょう。
「私が在位している間、国王としてあなた方を統治することは、決してありません。
 私は子どもたちの手本となるような善き人としての人生を歩んでいきます。
 私にとってあなた方の希望と願いを叶えることが人生の目標であります。
 私は親切、正義、そして平等の精神をもって、昼夜を問わず、あなた方に仕えるつもりです。」
こういうメルヘン的なメッセージを発信できる国家規模。大国の大統領や首相がまねたら噴飯物でしょう。国の施政の目ざす精神性がブータンでは見事に表現されていることはうらやましいです。日本も国のあり方が複雑になりすぎました。思い切って軌道修正をはかり「小さい政府」「地方自治」の方向に変わることを願うものです。

私がA教会からT教会に移って自分という一人の重みを感じ、義務ではなく主体的にコミュニティに関わって行こうと意識が変えられたように、行政も小さくなった方がいいのではないでしょうか。一人ひとりの参加意識が強まると共に一人ひとりの人間の充足感、満足感が深まっていくはずです。その意味で、私はガンジーの農村共同体という社会構築の考え方に賛同したい。次ぎの文は浅井幹雄監修『ガンディー 魂の言葉』(太田出版)からの引用です。
【夢はいくつもの村から成る共和国】
「農村の未来についてわたしがもつ夢は、村一つひとつが経済的にも政治的にも独立した存在となり、それらが相互に助け合ってひとつの共和国をつくることだ。
 村落は食糧や生活必需品の自給自足を基本とし、水資源の管理、基礎教育の施設運営なども自ら行う。(後略)」

ガンディーの思想は小さいながら、インド各地のアシュラム活動として継続しているという。機械文明からの脱却、西欧中心のグローバル経済の暴力を指弾するガンジーのことばは強い。その行き詰まりの予告は当たって今の世界情勢となっている。
「大切なことを忘れないでほしい。機械が主役の産業文明は悪である。」
「機械が人類の文明を破壊する終末を想像することができる。」
「そんなことは、これまでの歴史にはない。だから起こるはずがない。そう思い込んでいる人は、
 人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。わたしたちは、まず、そんな思い込みから自由になろう。そして、自分の心が正しいと思うことをやってみればいい。」

ブータンは統治掌握がしやすい小国ゆえに、国民一人ひとりの最大限の充足ある生活という政治の基本を是非貫いて行ってほしい。また、地形の不利な条件ゆえ農業の機械化、送電網の配備も相当むずかしいと予想されますが、かえってそれは他国が陥った轍を踏まない健全な開発成長となるに違いありません。

ポルカ

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