東日本大震災から二年が経とうとしています。復興は進んでいるのでしょうか?なかなかなようです。
友人が、2011年5月14日付けで発行した新聞『ちゃぶ台壁新聞』、本棚の整理をしていると出てきました。読み返し、思うところがあって、ここで紹介させてもらいます。
二ヶ月 経ちました。津波によってがれきの山となった岩手、宮城県は徐々に活気を戻しつつあるとのことです。ただ、見通しのつかない被災地は、フクシマ。
前号にも紹介させていただいた千田謙蔵氏の提言は少数意見の一つですが私が一番共感を覚えるビジョンです。(千田氏についてここでは、そのまま掲載。後に紹介させてください。)五月九日の文は氏の考えがよくまとめられているきがします。
2011年5月9日(月曜日)さきがけ新報 月曜論壇
東日本大震災からおよそ二ヶ月。全貌が明らかになるにつれて、これはただごとではない、ただ単に元に戻す復旧ではおさまりきれない、あの大転換をもたらした「戦後」に匹敵すると考えるようになった。
その「戦後」は、言うまでもなく「軍国主義から民主主義」への大転換であったが、「震災後」は「成長・競争・ギスギス社会」から「脱成長・助け合い・安定社会」への大転換ではないだろうか。今回は次の三つを語りたい。
①「原発をやめて自然エネルギーへ」
中略…すぐ全廃が正解だが、ドイツ方式を。経済成長一本やりは到底ありえない「脱成長」を勧めている。
②「東京一極集中をやめて地方分散を」
中略…安全日本への緊急課題、今度こそ本気で地方分散を実行しなければならない。東北復興も豊かな近海漁業や農林業の再生の上に…放射能の影響を考える必要があることについては、この時点では言われていない。
③「私たちはライフスタイル転換の原動力」
便利、無駄使いを庶民も乗せられて行ってきた。あり余る自動販売機、コンビニの深夜営業、テレビの深夜放送など果たして必要不可欠であっただろうか。節電という観点だけでなく社会のあり方として考えるべきだ。
成長信仰に躍らされた古い社会の改革など「震災後の大転換」の原動力・推進力に、ボランティアにアイデアを出しながら取り組む市民の力をと。
友人が、2011年5月14日付けで発行した新聞『ちゃぶ台壁新聞』、本棚の整理をしていると出てきました。読み返し、思うところがあって、ここで紹介させてもらいます。
二ヶ月 経ちました。津波によってがれきの山となった岩手、宮城県は徐々に活気を戻しつつあるとのことです。ただ、見通しのつかない被災地は、フクシマ。
前号にも紹介させていただいた千田謙蔵氏の提言は少数意見の一つですが私が一番共感を覚えるビジョンです。(千田氏についてここでは、そのまま掲載。後に紹介させてください。)五月九日の文は氏の考えがよくまとめられているきがします。
2011年5月9日(月曜日)さきがけ新報 月曜論壇
東日本大震災からおよそ二ヶ月。全貌が明らかになるにつれて、これはただごとではない、ただ単に元に戻す復旧ではおさまりきれない、あの大転換をもたらした「戦後」に匹敵すると考えるようになった。
その「戦後」は、言うまでもなく「軍国主義から民主主義」への大転換であったが、「震災後」は「成長・競争・ギスギス社会」から「脱成長・助け合い・安定社会」への大転換ではないだろうか。今回は次の三つを語りたい。
①「原発をやめて自然エネルギーへ」
中略…すぐ全廃が正解だが、ドイツ方式を。経済成長一本やりは到底ありえない「脱成長」を勧めている。
②「東京一極集中をやめて地方分散を」
中略…安全日本への緊急課題、今度こそ本気で地方分散を実行しなければならない。東北復興も豊かな近海漁業や農林業の再生の上に…放射能の影響を考える必要があることについては、この時点では言われていない。
③「私たちはライフスタイル転換の原動力」
便利、無駄使いを庶民も乗せられて行ってきた。あり余る自動販売機、コンビニの深夜営業、テレビの深夜放送など果たして必要不可欠であっただろうか。節電という観点だけでなく社会のあり方として考えるべきだ。
成長信仰に躍らされた古い社会の改革など「震災後の大転換」の原動力・推進力に、ボランティアにアイデアを出しながら取り組む市民の力をと。
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