3月7日(金) 晴れ
トンサンが生まれる前の家。東から西へ向かって撮っている。
海老名出身の親父と座間出身のおふくろが結婚してこの地を借り、住んだ。
まわりは空き地・畑と言ったところか。
北側の道を西へ行くと、近藤内科(現在は引っ越して仁厚会病院という)があった。突き当たった道は小田急通り(アミューとイオンの間の道)
我家は今中央図書館が建っている位置にあった。
児島家という名だったが、おふくろの弟が戦死し、鈴木家が途絶えるということで、親父が婿に入ったかたちにして鈴木家に改名した。
トンサンは小学校に入る前の6歳で引っ越してしまったので、記憶はおぼろげだが・・・
南側には小田急線が少し高く土手にしたところを走っていて、そこまでは畑とか菖蒲の花が植わっていたように思う。
庭には手押しポンプの井戸があって、近所のうちも共同で使っていた記憶がある。その井戸は第二次大戦で機銃掃射の玉が落ちたと言われていた。
トンサンは昭和24年この家で生まれた。当時はお産婆さんを読んで、自宅分娩だった。おふくろが生まれたばかりの裸でおちんちんを出したトンサンを抱っこしている写真があったのだが、無くしてしまったのか見つからない。
立っているのが5歳のトンサン。三輪車に腰かけているのが弟。
お祭りの提灯(ちょうちん)が出してあるようだ。
こちらでは祭りの法被(はっぴ)を着ている方がトンサン。
上の写真とこの写真はソフトを使ってカラー化してみた。
これはずっと後になって厚木小学校を卒業するときの記念写真。
右側が5・6年生の時の担任の仲田先生。左側の校長先生の名前は忘れた。
トンサンはどこにいるのか、背が低かったので前の方のはずなのだがわからない。
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