選挙で当選が決まって、万歳の音頭を取ってくれたのが、上田孝春市議です。ところが、「市長選以来……」と挨拶を始められたのですが、そこで、言葉に詰まり、後はしばらく、号泣してしまわれました。そして、「自分の選挙でも、一度も泣いたことはなかったのですが……」と言葉を詰まらせながらの万歳となりました。
上田さんは、いつも温和で、笑顔です。それだけに、この号泣を見て、本当に上田さんには本当にお世話になったと思い、私も涙がこぼれ落ちました。
「安定した職場で働いていた砂場さんを、その職場を辞めさせて市長選に担ぎ出した1人として、いつも責任を感じていた。やっと砂場さんに活躍の場をみなさんに与えていただき、心から感謝しています」と涙を流しながら、話していただきました。
市長選では選対幹事長、県議選では選対副本部長を務めていただき、この1年間は、家内といる時間よりも、間違いなく、上田さんといる時間が長かったです。私の最大の恩人です。
上田さんは市議会で最多当選ですが、威張ったところは全くなく、若者を大切にしてくれています。市長選のときは、「上パパ」というあだ名で呼ぶ若者もいたほどです。
市議選では上田さんの他、両川さんや椋田さんらの事務所開きなどに参加させていただき、応援したのですが「市長選ではみんなに世話になったのだから、僕のところはいいから、他のところに応援に行ってください。特に新人候補に力を入れてあげてください」とまで言われました。それが上田さんのすごいところです。
僕が今回、応援団(後援会)事務所を片原に開設すると、他陣営から「支援組織のない泡沫候補」という中傷を受けました。それで、上田さんと両川さんが、「僕たちの看板を立てれば、市議7期と6期の市議が看板まで立てて、応援していれば、泡沫は言わないよ」と言っていただきました。それでお二人の看板を掲示したのです。
このとき、お二人が「落選した新人のAさんも次の市議選ではリベンジして欲しい。場所もいいから、Aさんの看板も立ててあげなよ」と言われたので、Aさんの看板も立てたのですが、すぐに民主党県連と連合からクレームが付き、撤去しました。
民主党の公認推薦でもなく、連合推薦候補でもない私の事務所に、民主党員が看板を立てるのは、組織人としては問題だと言うのです。
事務所に居た大学生たちが声をそろえて言いました。「小っちえ~~」。「だったら、民主党の候補も、連合推薦の候補も看板を立ててあげたらいいじゃん」。そう憤慨する学生もいました。
政権を奪取しながら、民主党県連や連合が市民へウイングを広げられない理由はここにあると思います。敵対ではなく、取り込むぐらいの度量がないと組織は拡大しません。ずっと自民党の方が対応が柔軟ですし、それが政権を奪取されても、組織力で民主県連を凌駕している理由なのでしょう。看板ひとつでもドラマがありました。