東京にお住まいの故西尾優鳥取市長のご子息、西尾啓一さんから宅急便が届きました。ずっしりと重い箱を開けると中から出来たのは3分冊になった本「満ちて溢れず 資料からだどる一人の男の足跡」という本でした。
ページをめくると、資料を読み解いて西尾市長の足跡がまとめられています。すごいのは上巻の途中から始める書簡、新聞記事、議会議事録などの資料です。これはもう、完全に追悼記の域を出ています。大量の資料が、きちんと整理、構成されていますから、西尾市長が生きた時代の貴重な郷土史資料です。啓一さんは上海環球金融中心や東急キャピトルタワーなどの国内外で大きな建築プロジェクトを手掛けてこられた建築家ですから、資料整理に慣れておられたからだと思いますが、それに加えて、何よりも父親である西尾市長への思いがこの質の極めて高い労作を完成させたのだと思います。読者にとって読みやすい工夫が随所に感じられ、本当に優位性の高い資料になっています。これから県政を調べるうえで、あのときはどんなだっただろうと振り返る時は、使わせていただこうと思っています。
各巻500ページから600ページの膨大な資料ですから、パラパラとめくっただけですが、中には「とっとり世界おもちゃ博覧会」の担当だった私が書いた新聞記事も出できます。本当に懐かしく様々な場面が思い起こされました。西尾優さんは本当にぶれることがない政治家だったように思います。今と違い、労組の対立もありました。市立病院の移転新築もありました。しっかりと議論をし、部下の話に耳を貸し、そして、責任を持って決断される方だったと思います。
今、鳥取市では市庁舎移転が降って湧いたように起こり、半年足らずの間に駅北口から旧市立病院跡地へと候補地が変わり、建設費も110億円から、96億円、そして、75億円と変わっていくことを思いますと、やはりトップの資質が如何に大事かが分かると思います。
おもちゃ博覧会で駐車場が足りないのではないかと思った私が、そのことを指摘しますと「砂場さんならどうされますか」と聞き返され、「津ノ井ニュータウンなど造成中の土地がたくさんあるので、そこを駐車場にしてバスでピストン輸送すれば費用もかからないのではないでしょうか」と答えると、「それはいい考えですね」と言われたことがありました。この問答から1週間もたたないうちに市役所内で検討が始まり、現実のものとなりました。
私は大学を出たばかりの駆け出しの記者で、西尾市長は67歳でしたが、いつも、「砂場さん」と呼んでいただき、砂場君とは決して言われませんでした。そこにあるのは、人は人として大事にしたという西尾市長の思いだったのだと思います。返す返すも、任期途中で病に倒れ、懸命のリハビリで復帰されたのに任期途中で辞任されたことが、今のことのように残念でなりません。あと1期、西尾市長が続けられていたら、鳥取市政は今とは違ったものになったであろうと思います。
改めて西尾市長のご冥福をお祈りいたしますとともに、膨大な時間を費やして、この本を世に出した啓一さんに、心からの敬意を表したいと思います。
ページをめくると、資料を読み解いて西尾市長の足跡がまとめられています。すごいのは上巻の途中から始める書簡、新聞記事、議会議事録などの資料です。これはもう、完全に追悼記の域を出ています。大量の資料が、きちんと整理、構成されていますから、西尾市長が生きた時代の貴重な郷土史資料です。啓一さんは上海環球金融中心や東急キャピトルタワーなどの国内外で大きな建築プロジェクトを手掛けてこられた建築家ですから、資料整理に慣れておられたからだと思いますが、それに加えて、何よりも父親である西尾市長への思いがこの質の極めて高い労作を完成させたのだと思います。読者にとって読みやすい工夫が随所に感じられ、本当に優位性の高い資料になっています。これから県政を調べるうえで、あのときはどんなだっただろうと振り返る時は、使わせていただこうと思っています。
各巻500ページから600ページの膨大な資料ですから、パラパラとめくっただけですが、中には「とっとり世界おもちゃ博覧会」の担当だった私が書いた新聞記事も出できます。本当に懐かしく様々な場面が思い起こされました。西尾優さんは本当にぶれることがない政治家だったように思います。今と違い、労組の対立もありました。市立病院の移転新築もありました。しっかりと議論をし、部下の話に耳を貸し、そして、責任を持って決断される方だったと思います。
今、鳥取市では市庁舎移転が降って湧いたように起こり、半年足らずの間に駅北口から旧市立病院跡地へと候補地が変わり、建設費も110億円から、96億円、そして、75億円と変わっていくことを思いますと、やはりトップの資質が如何に大事かが分かると思います。
おもちゃ博覧会で駐車場が足りないのではないかと思った私が、そのことを指摘しますと「砂場さんならどうされますか」と聞き返され、「津ノ井ニュータウンなど造成中の土地がたくさんあるので、そこを駐車場にしてバスでピストン輸送すれば費用もかからないのではないでしょうか」と答えると、「それはいい考えですね」と言われたことがありました。この問答から1週間もたたないうちに市役所内で検討が始まり、現実のものとなりました。
私は大学を出たばかりの駆け出しの記者で、西尾市長は67歳でしたが、いつも、「砂場さん」と呼んでいただき、砂場君とは決して言われませんでした。そこにあるのは、人は人として大事にしたという西尾市長の思いだったのだと思います。返す返すも、任期途中で病に倒れ、懸命のリハビリで復帰されたのに任期途中で辞任されたことが、今のことのように残念でなりません。あと1期、西尾市長が続けられていたら、鳥取市政は今とは違ったものになったであろうと思います。
改めて西尾市長のご冥福をお祈りいたしますとともに、膨大な時間を費やして、この本を世に出した啓一さんに、心からの敬意を表したいと思います。