11月定例会が開会しました。今議会での私の最大のテーマは地下水条例です。9月議会で知見が少ないと継続審査にして以来、このブログで再三書かせていただきましたが、法律や地質の研究者を参考人招致したり、先進地といえる熊本県での調査、県内で先行して条例を制定した町との意見交換会、大口取水事業者各社からの聞き取りに加え、様々な文献に当たり、ネットでも調べ、委員会の各委員と議論も重ねてました。
何が課題で、その解決策をどうすべきかも見えてきましたし、加えて、鳥取県のレベルも分かってきました。地下水の動態が分かっていない状態で、県が公的管理をするには時期が早いのではないかと思いますし、まず、地下水についての知見を集めることができるような仕組み作りを先行させるべきではないかと考えています。
明日は議論と調査を重ねてきた我が福祉生活病院常任委員会が開催されますので、このテーマも審議されます。私はベストではないが、ベターでもいいから条例をできるだけ早期に制定することが地下水の保全には重要ですので、今議会での成立を目指したいと思っています。その方向で委員会での議論を進めたいと思っています。
それにしても、この二ヶ月の間、受験生時代のように幾晩も徹夜して地下水について勉強しましたし、本当に真剣に知恵を絞ってきました。中2の息子と炬燵に入って一緒に勉強していましたが、合間に会話したり、お茶飲んだりして、ちょっといい感じでした。
8月から114日間の日程で開催されていた国際まんが博覧会が25日グランドフィナーレを迎え、境港市民会館で閉会式がありました。私は本会議で2回も国際まんが博覧会推進の意見を述べていることもあって、森岡議員、長谷川議員と閉会式に参加させて頂きました。国岡議員も同行する予定だったのですが、風邪でダウン。日頃、元気な人だけにちょっと心配です。閉会式に先立って妖怪パレードがあり、8体の着ぐるみと共に、平井知事らが水木しげるロードを歩くと、沿道の観光客らが盛んにシャッターを切られていました。
主催者を代表して平井知事が挨拶に立たれました。
平井知事は「若者なかに躍動感が生まれた。次の世代のクリエーターたちも活動を始めた。ガイナックスも米子に進出されるようになった。青山剛昌ふるさと館の期間中の入館者は前年の1.5倍で大きな賑わいも生まれた。まんが王国という知育作りのスタートラインに立てたところで、未来に向けて一緒に取り組んでいくときだ」などと話されました。伊藤議長、境港市の副市長も挨拶されましたが、まんが博は概ね評価していいのではないかと総括されていました。
まんが博覧会のキャラバン隊だったバードプリンセスの皆さんの案内で、これまでの114日間を映像で振り返りました。
鳥取市文化財団、高校生まんが王国応援団、青山剛昌ふるさと館、ヨナゴワンダー、マンガサミット実行委員会、境港市観光協会の6団体の代表が、活動報告もありました。
来年は「グリーンウェーブ」で鳥取は盛り上がります。植樹祭、都市緑化フェア、そして、エコツーリズム国際大会の3つがその主要行事で、そのPRもありました。
最後は全員の大合唱で幕を閉じました。
私たち鳥取県議会の有志は。まんが王国推進議員連盟を結成。県外へPR活動を展開したほか、駅頭や街頭に立って、チラシやテッシュペーパー、団扇などを配って盛り上げに頑張ってきただけに、このグランドフィナーレは感慨一塩です。今回のまんが博が100点満点だったとは思いません。しかし、県職員、民間団体、企業、NPO、地域などが連携し、まんがをキーワードにした地域づくりの小さいけれども、確かな一歩を踏み出したように思います。今後、しっかりとした検証を行い、そこで得たノウハウや反省を来年の植樹祭や都市緑化フェアにつなげていきたいと思いますし、コンテンツ産業を根付かせるための努力も続けていきたいと思います。皆様、本当にお疲れ様でした。
総領事館での意見交換で、予定された日程はすべて終了しました。そこで、我が儘を言わせていただいて、スーパーマーケットに行くことにしました。私は海外へ行くと、スーパーには必ず行くことにしています。スーパーに行けば、その国の様子がよく分かるからです。
まず肉の種類が多いのに驚きました。牛、豚、鶏だけでなく、羊や鹿などもあり、それぞれが肩、ロース、横隔膜など部位によって切り分けられ、パックされていました。
そして、肉の塊のひとつずつがでかいんです。
魚もありましたが、売り場の面積は5分の1以下でした。
野菜や果物も山積みされていました。
一度、ホテルの寄って預けていた荷物をピックアップして空港に向かいます。日本を出て6日になりますが、ブラジルでの滞在は実質4日です。それでも、かなり中身の濃い日程を消化できたと思っています。
ブラジル県人会の皆さんには最後の最後までお送りいただき、恐縮です。写真は右から山添副会長、末長副会長、本橋会長です。本当にお世話になりました。ありがとうございました。ガイド兼通訳の小林さんです。
ブラジルの歴史から文化、経済、教育まで、その知識の豊富なことに驚かされました。全日程を同行頂きましたが、バスの中はまるで、小林教授のブラジル講座といった感じで、ノートの半分は小林さんの話です。離陸後、14時間でドバイに着きました。
現地時間で午後9時半です。待合室で藤井副知事と様々な話をしたのですが、なかなか時間は経ちません。見上げると時計はまだ、午後11時35分です。
出発時間は午前3時。約6時間の待ち時間はさすがに長く感じました。
やっと出発のゲートに向かいます。A、B、Cの3つのコーナーに各50の搭乗口があり、その大きさには驚かされます。
搭乗機へはバスで移動し、タラップを上がりました。
関西空港には予定時間より、30分以上も早く着きました。
偏西風に上手く乗ったようです。それでも、ドバイからは8時間余り。ブラジルは本当に遠い国でした。
関西空港には宵闇が迫っていました。無事、帰国できホッとしました。今回の訪問では、ブラジルの日系社会に直接触れることができ、さらに、アリアンサでは開拓移民の皆さんのご苦労の一端を聞かせて頂きました。配った名刺は100枚を超えており、ブラジルと鳥取の交流の未来に対するたくさんの意見を聞くこともできました。今後の議会活動の中で、この経験と知見をしっかり生かしていこうと思っています。長い、長い、私のブラジル訪問記をこれで終了です。読んで頂き、本当にありがとうございました。
弓場農場を出てると、4時間かけてサンジョゼ・ド・リオ・ブレト空港へバスで移動しました。
空港というよりは、汽車の駅のような感じです。
空港の前にはブラジル銀行などのCDが並んでいました。空港に入ります。
搭乗機の到着が1時間以上も遅れてしまいました。
やっと搭乗です。歩いて搭乗機に向かいます。
飛行機の中ではチーズとクラッカーなどからなる昼食セットが出ました。昼食を取ったあとだったので、これもお土産となりました。
サンパウロのコンゴーニャス空港と到着しました。約1時間のフライトです。空港を出ると激しい雨が降っていました。
空港から向かったのは日本総領事館です。
総領事館ではブラジル鳥取県人会60周年記念式典であった福嶋総領事=写真左=と、経済担当の坪井領事=写真右=と意見を交換しました。
坪井領事によると、欧州危機の逆風を受けて、2010年は7.5%あった経済成長が、今年は2%を切る水準まで低下すると予測されているものの、ブラジル経済はコモディティ(一時産品)や旺盛な国内消費に支えられて底堅く、2014年のワールド、2016年のオリンピックを控え、大規模深海油田も発見されており、その潜在能力は極めて高いということだった。福嶋総領事も「2020年の万博にも手を挙げており、建国200年を迎える2020年までは黄金の10年となるだろう」との見方を示されました。問題点は治安、それにブラジルコストと呼ばれる税金や物流経費の高さだということでした。
2003年にブラジル社会民主党から政権交代して以降、ルーラ大統領、ジルマ大統領と労働党が安定政権を続けており、財政再建を果たし、経済成長戦略を続けていることが大きいとの指摘もありました。日本の経済投資額は現在、オランダを抜いてアメリカ、スペインに次いで3位。在伯日本人は「勤勉で正直」と評価が高く、日系人の薬局と会計事務所ができれば、周囲の同業者は看板を下ろすとまで言われている。この信用こそが、日本とブラジルの未来を拓のではないかとも話されました。
まだまだ眠たい目をこすりながら向かった先は弓場牧場です。アリアンサ鳥取村から車で約20分で到着です。
1963年に弓場牧場にやってきた矢崎正勝さん=写真左=にご案内いただきました。1926年、家族10人を引き連れてブラジルに渡った弓場勇さんは19歳の若者。原始林のエネルギーに感動した弓場さんは、「日本人の特徴を活かしつつ、新しい文化を創造しよう」と誓い、1935年に「耕し、祈り、芸術する」共同農場をの建設に着手します。これが弓場農場の起源です。
北原・輪湖記念館です。アリアンサ移住地理事理事だった北原地価造さん、輪湖俊午さんの2人の旧宅を文化財として統合移築したものです。1961年に彫刻家の北原久雄さんが、妻で舞踏家の明子さんと弓場農場に移り住みます。記念館の前には久雄さんの遺作を並べた野外展示場がありました。
敷地内には図書館もあります。
蔵書数は約1万冊。弓場農場だけでなく、近隣の皆さんにも無料で貸し出されています。図書館は弓場農場の日本語学校も兼ねており、幼児から高校生までを3クラスに分けて授業がなされています。ベッドがあるのは、クリスマスが近くなると、弓場農場をたくさんの人が訪れるので、ここにも宿泊してもらうのだそうです。弓場農場はゴバヤ、パイナップル、マンガなど8千本の果樹を栽培して均衡に出荷しているほか、椎茸栽培、養鶏、牧畜、養豚のなされ、米を少し買うほかは、自給自足なのだそうです。
農場内に点在する家に27家族56人が暮らして居られます。
旅行者が建てて、もう1年も住んでいるという家もありました。
手作りのブランコもありました。
農場は共同生活が基本。皆さんが使う食堂です。
テーブルの調味料には、醤油もありました。
炊事場です。
共同の洗濯場もありました。
一見、農具の倉庫に見えるのが、交流の場になっているテアトル・ユバです。
中に入ると、緞帳があり、きちんとした照明設備もありました。
客席は500席。外まで拡張すると800席になるそうで、バレイや演劇、音楽会など弓場農場の芸術活動の発表の場になっています。
舞台は巾10メートル、奥行き12メートルの立派なものです。日本から唐十郎一座や現代座などの劇団が日本からやってきて講演したこうともあるそうです。
クリスマス公演を控え、舞台装置も創られていました。本格的です。弓場農場が高く評価されるのは、この芸術活動があるからです。
アリアンサ鳥取村では横山議員と共に矢尾板さんの家にホームステイさせていただきました。自治会館から矢尾板さんの家までは自動車で10分弱でした。
敷地になっていても、玄関までは自動車で約5分ほどかかります。
道の両側は牧場です。肉牛の繁殖農家で、10~11ヶ月まで育てて肥育農家に年1000頭前後を出荷しているのだそうです。
日が暮れ出すと、矢尾板さんの家の近くまで歩いて戻ってきます。賢い牛たちですし、矢尾板さんは「本当に可愛いよ」と目を細めて居られました。細長い建物が見えてきました。
ここで鶏を飼っているそうです。鶏も卵をふ化させ、卵を産めるまでに育てて出荷するのだそうです。
やっと家に到着です。家の周りには樹木に花が咲き、とても美しかったです。
矢尾板さんと奥様です。
シャワーをお借りして、サッパリしてから、自治会館で開かれた歓迎会に一緒に出かけました。牧場に小さく土が盛り上がっているところが、あちこちにありました。
蟻塚だそうで、ポルトガル語で「クッピン」というのだそうです。シュラスコでは一番人気のある牛の背中の瘤が蟻塚に似ているので、この瘤のことをクッピンと言うのだそうです。
ゆっくりと休ませていただきました。朝起きると奥様が朝食の用意をしていただいていました。
二種類のパン、豚のハム、牛のハム、チーズ、自家製のケーキ、ヨーグルト、庭で採れた果物、コーヒーと日本茶、牛乳とご馳走でした。ほんとうにお世話になりました。
荷物をバッグに詰めているとジッパーが壊れてしまいました。
安全ピンと紐を借り、安全ピンを閉じた後、紐でぐるぐる巻きにして、なんとかしのぎました。最後の最後まで迷惑をお掛けして済みませんでした。アリアンサの自治会に各家庭にホームステイしていた訪問団のメンバーが午前7時に全員集合。矢尾板さんとお別れです。
矢尾板さんご夫妻、そして、アリアンサ鳥取村の皆さん、本当にお世話になりました。バスで向かったのは第1アリアンサ村の弓場牧場です。
自治会主催の歓迎会を催していただきました。会場は自治会館。100人近い村人は集まっていただきました。
私も挨拶するように言われ、前に出ました。
歓迎に心から感謝すると共に、日本語学校などの県の支援がアリアンサで頼りにされているとことを実感したので、帰国後、こうした支援策をどう充実していくか、伊藤議長や横山議員ら先輩議員の皆さんと考えてみたいと話すと、皆さん、大きく肯いていただきました。
料理は女性部の皆さんの手作り。本当に美味しかったです。感謝、感謝です。
幼稚園児の皆さんが、日本語の歌を歌ってくれました。本当に可愛かったです。
米子市の奥田課長補佐が銭太鼓を披露されました。本当に芸達者で、子ども達が目を輝かせて見ていました。子どもたちが、しゃんしゃん傘踊りを披露してくれました。
訪問団も踊りの輪に加わりました。
最後は、子ども達と「ふるさと」を大合唱しました。
料理を作っていただいた女性部の皆さん。本当にごちそうさまでした。
中尾養鶏場から戻った私たちは、アリアンサの移民収容所に案内していただきました。
移住してきた人たちが、森を開拓し、自分の家ができるまで住んでいた家だそうです。その横には移住者の世話をしていた組合の職員の家も残っています。
アリアンサの開拓史にとって大切な場所なので、開拓者の子孫が自分の好きな時に集まって楽しみ、歴史を伝承する場所にしたいと思われているそうです。
日本語学校では教育委員会次長の生田文子さんの授業が始まりました。
授業は習字で、課題は「平和」です。生田次長は筆や硯、墨汁などをスーツケースに詰めて持ってこられたそうです。硯の足りない分は味噌汁椀で代用です。
なかなか上手に書けています。藤山先生も生田次長と共に指導されました。
授業が終わったら、訪問団が鳥取から持ってきた様々なプレゼントを子どもたちに贈りました。
アリアンサで三件目に訪れたお家が中尾養鶏場。中尾喜代治さんが1927年に鳥取から移住してこられて、コーヒー豆、米、トウモロコシ、落花生などの栽培を始められたそうです。
現在の当主は中尾秀隆さん。お孫さんまで5人家族でお暮らしです。
1つのケージに三羽ずつ飼って居られました。
1950年代から養鶏を取り組み、現在は1万3000羽の鶏を飼っておられます。鶏肉ではなく、卵を生産されています。
50ヘクタールの農場では100頭の牛も飼って居られます。
左から4人目が中尾さんです。中尾さんの家にも綺麗な花が咲いていました。
アリアンサはどこに行っても、花が美しく咲いています。
次に訪れたのは佐藤農場です。
左端が佐藤さんです。
佐藤さんは十数年前から、農機具や写真などアリアンサの史料の収集をされており、自宅の一部を資料館として公開されています。
水くみポンプです。
1958年製のオーブンです。
音響機器は真空管です。
照明器具も展示されていました。
佐藤さんが以前使っていたトラクターです。
このあたりにはワニもいたそうです。写真も展示されていました。
ブラジル移民100周年を記念して2008年に平井知事らが訪れた時の写真もおありました。
上の写真が平井知事、下のは写真は元教育長の中永さんです。2006年に催されたアリアンサ入植80年を記念式典で藤井副知事がスピーチしているところを撮した写真もありました。
ジャタイ小蜂の巣です。木の穴を利用して巣を作る小さな蜂で、巣からは蜂蜜が取れるそうです。
手製のリヤカーです。庭には果樹がたくさん付いていました。
パパイヤです。
マンゴです。もう少しで食べられるそうです。
見たことのない実もありました。ジャカというのだそうです。佐藤さんは20年くらい前からゴムの栽培も始められました。
ゴムの木に切り込みを入れると、樹液が出てきます。
樹液を貯めていきます。
貯まったゴムを伸ばすと、ビーンと伸びて、ゴムだと分かります。天然ゴムです。
手にしているのは米子市市民自治振興課課長補佐の奥田さんです。