Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

一周忌

2013-12-20 23:46:56 | つぶやき

 かつて子どものころ、親のいない暮らしなど考えられないほど、支えとなっていた父や母の存在。今の時代と異なり、親が子どもにそれほど世話を焼く空気はなかったが、存在としての親は大きかったに違いない。それはたとえ接する時間が少なくとも、支えとしての存在価値があったのだと思う。いっぽう現代では親が子どもに接する時間は明らかに長いと思う。もちろんそれは子ども時代の我が家でのことであって、ほかの家では違っていたかもしれないが・・・。長くとも、では親としての存在が大きくなったかといえば、それはなんともいえないだろう。

 父が亡くなって一周忌を迎える。昨年の今ごろは毎日のように病院通いをし、平日なら1時間ほど、休日なら2時間から3時間は父の枕元で最期のを迎える父と接した。今年だったらまったくそんな時間を持てず、父と別れることになっただろう。そういう意味では昨年で良かったと今になって思う。とはいえ、悪化していく父の病状になす術もなくただ枕元についているだけの自分は、何をしたのだろうという思いもある。さすがに自ら“いい年”になると、親がいなくなっても「親のいない」暮らしを想像しがたいもの、とは思わなくなった。自らが年老いてそれなりに先々を考えるようになると、もはや親に頼ることがなくなったせいでもある。だれでもどこかでそんな峠を越えて、自らの生活の位置を築き、終末期という光をかすかに望みながら親と決別していくのだと思う。もちろんその過程で、現代では介護という親とは密接なつきあいが付きまとうことにもなるのだが、それがどれほど個人意識に寄りかかっているかは、そんな環境にある人々の隠された生活から、わたしたちは垣間見ることは日常ではなかなかできない。そういう視点に立てば、父はほとんど子どもたちに手を負わせることなく旅立った。父らしいといえばそうなのかもしれないが、理想の逝きかただったとも言える。いなくなっても、ごく自然にそれを受け入れられるのは、それなりの年齢を父もわたしも積み重ねていたからと言える。長生きにこしたことはないが、“ちょうど良い”年に、父はわたしたちに別れを告げたと言える。


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