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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

奈川へ

2017-07-29 23:26:44 | つぶやき

  長野県民俗の会第206回例会は、松本市奈川で行われた。昨夜長野で業務上の懇親会があって、業務外の会議が途中に入っていたこともあって、飲酒は避けて車で帰宅していた。このごろは通勤でも高速道路を利用しているため、高速での景色がとりわけ印象深い事項になっている。松本市内(市街地)なら一般道で向かっただろうが、そこから1時間ほど奥に入ることから、再び高速を利用して奈川へ。まったく別の道を頭に浮かべることはなかったが、例会に同じ伊那から参加された方が木曽から境峠を越えて入ったと聞いて、まったく意識しなかった道に気づいた。聞けば伊那から1時間余とのこと。もしかしたら高速を利用して松本市内から奈川にやってきても、一般道で権兵衛峠越えでやってきても、時間は同じだったのかもしれない。とはいえ、帰路も寄り道したいところがあったので、結局波田まで下って塩尻経由で帰宅した。

 休日ということもあって、平日の高速道路とは光景が違う。「車が多い」そんな印象は高速に入ってすぐに感じた。追い越し車線に入っても、走行車線を走る車がつながっていて、なかなか戻れないし、その「戻れない」という意識を生むのは、追い越し車線の速度にもあった。速度が上がる時もあれば、つながっていて100キロ以下ということもたびたびあった。速度の上下が発生すると、なかなか走行車線に「戻れない」ということになる。これだけ車が多いことを見越してのことなのか、通行量のデータがあるのだろう、先ごろまで行われていたリフレッシュのための集中工事による車線規制が終わり、車線規制による渋滞もなかった(夏休みに入ったら集中工事は行わない)。松本インターで降りて、上高地線に入っても車は多かった。そして見れば県外車ばかり。ふつうの土日でも、今や長野県内へ入り込む車は多い。

 さて、例会は「旧奈川村のスーパー林道、奈川渡ダムの開発にあたっては、開発当時から生活に与える影響について調査や記録作成が行われていました。それから半世紀ほどが経った現在、実際にどのような生活変化が起き、人びとがどのように対応してきたのか、あらためて考えなおしてみたいと思います」という意図の上で実施された。今回の会を企画していただいた土田拓氏、昨年の大町市美麻例会にも参加していただいた荒井和比古氏、そして小原稔氏より奈川を中心としたさまざまな話をうかがった。このことは別項に譲るとして、発表後に入山に入った。奈川渡ダムの建設によって集落に亀裂が発生して集団移住を余儀なくされた入山は、無住になった現在も家屋が残り、神社は今なお入山の人々の心の拠り所となっている。入山については以前「奈川入山へ」で触れた。集団移転したにも関わらず家屋が半世紀に渡って残されてきた理由について、「移転時に氏神はそのまま旧集落に残した、あるいは墓地もそのままにした、というような心の支えは置いてきたという意識」があったからではないかと、「奈川入山へ」の中で私見を述べた。

 天候がいまひとつということもあって、ブナの原生林下の独特の日差しを浴びることはできなかったが、相変わらずブナの大木が悠然と入山を覆っていた。

続く

 


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