以前から宿題になっていたひとつ、親戚の修験行者だった方の資料を調べに足を運んだ。祖母の妹だった方が嫁がれた家で、わたしの生家と集落も同じだったこと、さらには父とその祖母の妹の息子さんは同業だったという縁もある。明治時代に修験の堂を開いて、父と同業だった方まで3代続いたが、修験者としては途絶えてしまっている。真言系・醍醐三宝院が本山の当山派修験にあたる。初代は昭和22年(1947)に73歳で亡くなったというから明治7年ころに生まれた方。堂は平成になってから新築されているが、堂内は初代のころのまま残されているという印象で、その時代の修験の道具がよく残されているのである。今回は序の口に過ぎないが、慌てずに資料を紐解いていきたいと考えている。
堂内の最も手前に座卓があり、その引き出しの中身から紐解いたわけであるが、座卓の上にいわゆる筒型のおみくじがあった。直方体のもので、75mm角で高さ165mmあるもの。筒の中に竹串のおみくじが入っているわけであるが、何本入っているか確認しようとおみくじを出そうとするのだが、1本目がなかなか出てこない。ようやく出てきたかと思うと、何と「凶」。2本目を出そうとしてもやはりなかなか出てこない。そして出てきたかと思うと、またまた「凶」なのである。「凶しか入っていないのか」と思わせるストーリーに、「出すな」と言われているような気もしたが、やはり全部出してみることに。本数が少なくなってくると意外と簡単に出てくるようになり、何とか全て出すことに成功。中には100本の竹串が入っていて、やはり意外と「凶」が入っていることにびっくり。おみくじを引くのはあまり好きではないが、雰囲気として「凶」はそれほど入っていないという先入観を抱いていた。写真がそのおみくじの中身である。それぞれの数を一覧にすると、
大吉 16
吉 36
半吉 5
小吉 4
末小吉 3
末吉 6
凶 30
といった具合になる。「半吉」なるものがあるのも初めて知ったが、「末小吉」というのも耳慣れなかった。そして7段階で分けられるのは一般的のようだが、7段階がどこも同じというわけではなく、このように末小吉を入れている場合もあれば、それに代わって「大凶」を入れ場合もあるようだ。上記「大吉」から「凶」までは順位に沿って並べた。このおみくじ種類と順位は、浅草寺のものと同じである。そして吉凶の割合について、群馬県前橋市にある産泰神社のホームページに紹介されており、吉凶の割合はおみくじによって異なるというものの、おみくじの由来となった「元三大師百籤」の割合は「凶」30パーセント、「大吉」17パーセント、「吉」35パーセント、これら以外の「吉」が15パーセントだという。おみくじの数が100本あるから、自ずとその数字が割合となる。竹串に記された番号と吉凶を見ていくと、1本だけ不可思議なものがあった。「第大八吉」ちいうもの。8番目のおみくじに当るのだろうが、「八」の前に「大」が記してある。意図的なものなのか間違えただけなのかはわからないが、これを「大吉」と捉えると前述の割合はまさに前述の割合と同じになるわけである。「凶」が意外に多いことに気がつくわけである。ということで、「凶」を引くことは、けして珍しいことではなく、裏を返せばおみくじによってあまり左右されないこころもちでいたいということになるだろうか。
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