先日の大御食神社獅子練りの見学において、合間に神社に保存されている「美しの杜社伝記」というものを見せていただいた。あまり一般の方々には公開されたことがないもので、氏子の人達もその実物を見たことがないという人が多い。通称「社伝記」と言われるものは神代文字で書かれたふつうの人には解読できないもの。この解読の経緯も記録されたものが残っている。社伝記は桐板に書かれたもので、桐の箱に納められていた。景行天皇41年から村上天皇、天歴5年までのおよそ840年間のことが書かれ、大御食神社神主が引き継いできたもの。この神主家が神社南側に居を構える小町谷家である。「通説では日本最古の家系は出雲の千家氏及び北島氏で始祖はアマテルの第一子である天穂日命とされているが、小町谷氏の始祖「思兼尊(阿智彦)」はアマテルの妹の夫であり天穂日命より一代早い。」とWikipediaにあり、小町谷家は神話の時代から続く日本最古の家なのである。この小町谷家が天明の火災で焼失したため、神代文字で書かれた社伝記も焼失してしまったと言うが、幸いにも写しが保管されていた。ところが神代文字で書かれていたため解読できず、世に出ることはなかったというのだ。明治2年に伊那県庁より管下の神社に対して由緒を提出するように要請があった際、県庁へ社伝記を持参したところ、たまたま県庁にいた大参事落合直亮の弟落合直澄がこれを解読して内容が明らかになったという。伊那県庁に差し出した口上書にこの経緯が記されている。
社伝記を研究した木村信行氏によると、「『日本書紀』に年数を合わせていることで、神代文字で書かれているように見えても、結局は『日本書紀』をみながら、それに年数や話を合わせて書いていることはいなめない」(『美女ケ森 大御食神社―1900年記念誌』)という。とはいえ、Wikipediaにも記されているが「この社伝記は、神代文字で書かれているために現在十分な評価を受けていないが、記述内容と史料史跡の検証などから高い信憑性が認められる貴重な古記録である」ことは確かなようである。
神代文字というと、わたしの記憶には旧豊科町本村にある道祖神が浮かぶ。碑高50センチほどの石面に「本村中」の漢字3文字に並んで24文字の神代文字が彫られている。「ヤチマタヒコノカミ ヤチマタヒメノカミ クナドノカミ」と読むらしいが造立年代は不詳。大変珍しい道祖神である。
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