昨日「昭和50年の“ほんやり”」を記したわけだが、実はこの年の“ほんやり”の記録はまだ続いている。ようは昨日のものは小正月に14日に行われた自分の住む集落で行われたものについて触れたもので、このあと周辺のこと、そして二十日正月のことについても少しではあるが記録している。
前述した本六では子ども中心だが、たくさんのおとなも集まる。とくに子どものいない家ではお年寄りなどたくさんの人の集まりになる。しかし、こういうようなおとなも集まって来るというどんど焼きは少ない。この本六を含め本郷区中心と思える。七久保地区や飯島地区などでは子どもが中心である。前述したように児童会の行事として行っている。だからおとなが集まることは少ない。
以上は周囲の様子を記したもの。本当にそうなのかあまり記憶にないのだが、すでに周囲の様子も見て歩いていた時代だけに、児童会中心であるという印象は強かったのだろう。子どもの減少ととともに、子どもたちが中心に担うということも今はできないだろう。もちろん子どもがそこそこいる集落では現在でもPTAちか育成会が中心になって行っているのだろうが、実施している箇所ごとの格差が生じていることは確かだろう。そちて分散していたものが統合されていくという話もよく聞くことである。昨年の飯田市法全寺の例(http://blog.goo.ne.jp/jklst_554/s/%CB%A1%C1%B4%BB%FB)は、今年も地方新聞で取り上げられていた。
さて記録には「小正月のどんど焼き」が続く。前述した二十日正月のものである。
14日のどんど焼きほど大きくはないので、人々も集まらない。わずかな松飾りを焼く。おとなの人3人ほどが集まって来て午後4時45分から5時の少し明るい時間に火をつける。おとなについてきた子ども何人かが焚き火のごとく手を温めている。それほど小正月のどんど焼きは、小さなもので、15分くらいで炭になってしまう。
とあっさりした記録しかない。この場合のおとなとは毎年同じ人なのか、それとも地区の役員のような人だったのか、そんな記録はない。
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