資料や文献を扱って編むというのは容易に理解できることではあるが、それは執筆者あるいは監修、さらには関係者が多くいればいるほど多様な視線が当てられる。そうした関係者によって何を書いていくか、というところが議論されてしかるべきだと思う。ところが〇〇市誌では、限られた人によって既に原稿化が始まっているという。その上でわたしの関わっている民俗に対して「遅い」とか「手こずっている」とか「うまくいっていない」という声が外部から聞こえるこの頃・・・。既存の文献でものを書く人たちは調査もせずに書くことはできるかもしれないが、民俗はそうはいかない。確かに民俗に関する記述されたものはたくさんあるかもしれないが、民俗は「変容」を伴うもの。そしてそれが書き物として網羅されるように残されているわけではない。年を追ってその変遷を既存資料から追えばよい現代史とは異なる。やはり「調査」が基本にあり、聞かなければ「何もわからない」。こんな単純なことなのに、理解してもらえないのである。
前回触れた会議に来られた編さん事業の「長」という肩書の方は、柳田や折口の名をあげた上で「わたしも少しは民俗学の講義に触れたことはあるが・・・」と前置きしたうえで、かつての民俗学の手法でやる必要などないと口にして、現在取り組もうとしている方法に疑問を投げかけられた。そもそも柳田や折口という名を上げることじたいその場の雰囲気と乖離していた。何を言おうとしているかも理解できなかったのだが、どうも「聞き取り調査」なる古臭い手法はいらないとでも言いたいようだった。これでは「民俗」はまったく表せない。さらにこの地で特異な習俗である事象をとりあげて、そうしたものなら調査などしなくても書ける、というようなことを口にされる。もはやこの認知乖離に言葉もなかった。その上で編さん委員でもなくただ補助的に加わっている(もっといえば委嘱状もいただいていないので部外者なのかもしれない)わたしのような存在と、編さん委員とは「立場が違う」と会議で口をされて「あんぐり」。あえて会議で発言されるということは、それなりの意図があるものと捉えて、わたしに怒りが沸き上がったのは言うまでもない。指摘すると言いすぎたと思ったのか少しフォローをされていたが、編さん事業の「長」という立場の方から聞いた思いがけない言葉に、そもそもボランティア的な関係者に「こんな発言はないだろう」、そう誰もが思うはず。立派な「先生」なのだろうが、こんな方が教育者だというのなら、「世も終わり」とつくづく思ったわけである。
その後も直接的ではないが、調査やアンケートなどという手間のかかる作業をせずにできないか、といった横やりが続いているよう。その対応で一緒に関わっている友人と「どうしたら良いか」と時間を割くことが無駄に嵩んでいるというわけなのだ。何より「人を増やしてほしい」という希望がなかなか通らなくて、時は過ぎるばかり。時がかかるということは、それだけ無駄が嵩むということ。冒頭にも記した通り、一人や二人の執筆者で記述するなどという偏った体制があるはずもない。これではかつてわたしがこの日記で触れた『松川町史』並みである。無駄に嵩む時間を天秤に掛けながら、思うところ「多々あり」、といったところであるとともに、「いつでも手を引く用意がある」と口にしてしまいそうだ。
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