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小布施町中条神社横の自然石道祖神

2024-09-18 23:19:59 | 民俗学

中条神社東側県道端石碑群全景

 

五輪塔残欠と石祠型庚申、「道祖神」

 

自然石道祖神

 

五輪塔残欠「空」「風」

 

怪しい石

 

 先日「小布施町中子塚庚申さんの祭り」を記した。その際以前にも訪れたことのある中条神社横の石碑群も訪ねた。自然石道祖神に興味のなかったころ訪ねたから、当時は自然石の道祖神など目もくれていなかった。おそらく中条神社にはそれらしいものがあったと思い、あらためて訪ねて見たというわけだ。本日先日の日記にも追記したが、実は『長野県道祖神碑一覧』の元となった『小布施町の石造文化財』(平成元年 小布施町教育委員会)を所持していた。先日記した際にはまったく頭になかった資料。わたしの書斎の書棚は、背面と前面に二重に書物を置いているため、背面にある書物はふだん目に入らない。したがって過去に手に入れていた資料を忘れてしまっていることは多い。無いと思って図書館を訪ねて、あとで「自分で持っていたんだ」と気づくこともたまにある。

 ということで、あらためて前掲書を開いて、中条神社横の石碑群を確認してみる。冒頭の写真がその石碑群で、前掲書を参考に左端から右に順に石碑を見ていくと次のようだ。

①石祠型屋敷神
②墓碑型庚申塔
③石祠
④青面金剛
⑤自然石道祖神
⑥廻国供養塔
⑦石祠型庚申
⑧「道祖神」文字碑

となる。実は石碑群と認識されているものは以上だが、2枚目の写真、左側に少し写っている廻国供養塔の台座の上に丸い石が置かれている。これは五輪塔の残欠である。いわゆる一体化しているが、最近紹介している五輪塔もほとんどそうだが、「空」と「風」の部分に当たる。ようはその下の「火水地」が欠損している。揃えば五輪塔の完全形である。さて、前掲書では「石祠」としている③は、石祠にしてはやはり完全ではない。五輪塔の「火」と「地」の部分にも見える。では⑥の台座の上にある残欠と③を組み合わせれば五輪塔になるではないか、ともいえるが、③の「火」の上に載せても不釣り合いだ。ようは同じものではないと思われる。遠く離れた小布施町でも道祖神の近くに五輪塔残欠が存在していたことに驚く。もちろんここでは道祖神以外のものと同居しているため、必ずしも道祖神とセットとは言い切れないが。

 さて、2016年に「小布施町中条の道祖神」で触れたように、「道祖神」の前に双体の道祖神が置かれている。この道祖神は前掲書には記載されていないもの。見た目は新しいとも言えないが、発行後にここに祀られたものと思われ、よそから運んだのか、新たに彫った物かははっきりしない。そして前回も文字碑の銘文に触れた通り、この文字碑には「再建」という文字が彫られている。以前にあったものが欠損したのか、無くなったのか、あらためて「再建」したと捉えられるが、その意図ははっきりしない。昭和52年再建だから、まだ聞き取ればその事情はわかるかもしれない。わたしとしては、⑤の自然石道祖神の「再建」と思いたくもある。⑤は何の変哲もない石ころである。「石ころ」は失礼かもしれないが、小さいもので、これを道祖神と思う人は少ないだろう。前掲書にはっきり道祖神と記載されているからわかったこと。自然石道祖神は少し変わった石を採用する傾向があるが、どうも北信域の自然石道祖神にはごくふつうの石というものが多いように思う。

 石碑群の周辺にはこれら以外にも石がある。6枚目の写真は「道祖神」のさらに右側の土の上に露出しているもの。最近こうした石にも何らかの意味があるのではないか、と周囲に気を配るようにしている。


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