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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北佐久郡立科町山部の自然石道祖神

2024-09-16 23:48:12 | 民俗学

山部間ケ部商店前の道祖神

 

山部学校南側の道祖神

 

 小県郡長和町から国道142号の笠取峠を越えて坂を下ると「山部」の信号機がある。ここを左折して上田市大屋に向かう県道を北進すると、間ケ部商店と言う酒屋さんが左手に見えてくる。この酒屋さんの前の三叉路、少し右折したところの道端に石碑が並んでいる。真ん中の大きな石には「道祖神」と刻まれ、向かって右側の石は双体像と思われる二神が彫られている。このあたりの道祖神は、こんな感じに摩耗しているものが多い。これが石質のせいか、それとも古いから当然摩耗しているのか、はっきりしない。写真が逆光のため文字碑も双体像も明瞭ではないが、左端の自然石はどこから見ても自然石だから、裏側から見ても道祖神に違いはない。したがって角度を変えて、あたこちから撮影してみたが、最近自然石道祖神を見つけた場合は、こんな感じに角度を変えて撮影するようにしている。そもそもコンクリートで固定されているものの、本当にほかの道祖神の向きでいう正面が「正面」なのか、確かなことは言えないはずだ。

 何度も引用させていただいている岡村知彦氏の『東信濃の道祖神』(2023年 風間野石仏の会)には、ここに3基の道祖神があると記載されている。もちろん前述した双体像、文字碑、自然石の3基であるが、実は台石に固定された3基のほか、台石から外れたところに自然石が最低4個転がっている。草を刈って、少し土を掘り起こすと、もしかしたらもういくつかあるのかもしれない。そう捉えると、コンクリートで固定された3基の前に供物用とでも言える石が3つ埋め込まれている。これらも自然石であって、もしかしたら道祖神ではなかったのか、と思えてくる。自然石道祖神の祭祀空間には、このように多数の石が周辺に見られることが多々あり、どこまでが道祖神であったのか、はっきりしないわけである。

 さて、山部にはここから少し南に戻った山部学校の南側、川を挟んだ向かいの橋の端に、やはり3基の道祖神が祀られている。向かって右端のものは「自然石か」と遠目には見えたが、よく見ると双体像が浮かんでいる。摩耗が激しいため、その像容ははっきりしないが、双体像であることはうかがえる。ここも真ん中に祀られている大きな石は「道祖神」。そして左側にも双体像が祀られていた。


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