山口拡氏は平成28年『信濃』1月号へ「みすず細工にみる民具の近代産業化の一例」という論文を寄せている。「元々は民具として在郷の農家が自家用のザルやカゴを製作するようになったと考えられるみすず細工だが、松本という比較的規模の大きな集積地を持つことから、全国へと販路を広げていった。特に明治から大正にかけての最盛期には、海外への輸出産業としてもその名を馳せていた。しかし、一大産業として栄えたかにみえたみすず細工も戦後は衰退していくこととなり、その職人もすでにいなくなったとされている」と「はじめに」の中で触れている。松本がみすず細工の一大産地だったようだが、衰退著しかったのか、あるいは産業として成り立っていたためか、昭和58年10月に「信州竹細工」が県の伝統工芸品に指定された際に、松本のそれは含まれず、山ノ内町と戸隠、それと伊那市の竹細工が指定されるにとどまった。
山口氏の文にもあるように、元々は農家が自家用としてザルやカゴを自製した延長で、産業化した松本のみすず細工、わたしたちの暮らしの中から発した同様の産業は他にも見られるわけであるが、かつてのこうした自製された竹細工の記録を、すず竹に限って『長野県史民俗編』第2巻(二)南信地方「仕事と行事」から拾ってみよう。
〇すず竹で蚕かご、ざる、びく、こうりを作った。蚕かごのふちは柳・にれ・しなの樹皮でまいた。(S20-下諏訪町下の原)
〇すず竹でざるやかごを作った。(S30-下諏訪町萩倉)
〇すず竹でテッポーカゴを作った。(S30-辰野町門前)
〇すず竹でざるやびくを作る。昭和十年代まではムラの大半の家で自家用として作ったが、現在は五、六人である。(箕輪町上古田)
〇すず竹でざる、びく、こりを作った。(M30-箕輪町長岡)
〇手良山のすず竹でびく、いざる、蚕かごを作った。(S初-伊那市野底)
〇すず竹でびくやざるを作る。(M-手良中坪、青島、S25-山本)
〇すず竹でイカキを作った。すず竹は商人が持って来た。製品は店に出した。(S初-上郷町南条)
〇すず竹でカゴロジを作った。(S初-阿智村備中原、S初-恩田、S33-上村中郷)
〇すず竹でカゴロジを作った。現在は横笛、はたきを作る。(新野)
〇すず竹とふじづるでカゴロジを作った。(S初-飯田市鼎名古熊)
以上のようなものがあげられている。ざる、びく、こうり、そしてカゴロジを作ったという人が多い。このように、そもそもそれぞれの家で行われていた手工業だったわけだ。
さて、信州竹細工として伝統工芸品に指定された当時、伊那市美篶上川手に上川手篶竹細工クラブが発足している。細々ではあるが、そのクラブは今も継続されている。その代表を会社の先輩がされているということで、今日、篶竹細工の様子を見にうかがった。
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