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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「桑畑」記号の消滅

2022-12-03 23:03:07 | つぶやき

 「地図記号から「工場」「桑畑」が消えていたこと、ご存知でしたか?」などというページがあるように、わたしも「知りませんでした」。あえて検索してみると同じようなページがいくつも表示されるわけだが、『地図中心』603号(2022年12月 一般財団法人日本地図センター)の特集は「御役御免地図記号集成」であったことで知った。

 桑畑と言えば、このあたりでは当たり前に地図に記されていた記号である。しかし、桑を利用する養蚕が衰退したことで、桑畑はほぼなくなった。そもそも養蚕をしている人がいない。しかしながら実態としては、桑が生えていることは事実で、あまり目に入らなくなった、と言った方が正しいだろうか。もともと桑畑は植生を表す記号のうち「既耕地」の部類だった。繰り返すが桑の木は生えていても、今では既耕地とは言えない。荒地となって生えている、あるいはその他の樹木にあたるが、「その他の樹木畑」という記号も同時に消滅している。後先になったしまうが、これら記号が国土地理院の地図から消えたのは2013年の改定からだという。間もなく消えて10年に達するというのに、まったく知らなかった。同時に「工場」も「古戦場」も消えているようだ。川中島古戦場の記号も消え、今は文字で記されている。記号消滅の背景にはさまざまな理由があるのだろうが、「桑畑」は明らかに現状から消滅しているからなのだろう。しかし、実際には桑の木は意外に残っていたりする。では「桑畑」は地図上で何に変わったのか。と思い近在の地図「伊那大島」の昭和52年11月30日発行の25000分の1地図を開いて見た。桑畑の記号は実に多く記されている。しかしそこが今何になっているか、とみていくと桑の木が生えている、というよりは果樹園に変わっているところが多い。また、おそらくであるが、昭和52年当時に既に桑畑ではなくなっていたところが、桑畑表示されているところもけっこうあるのだろう。それほど桑畑記号は、当時の地図にはたくさん見える。おそらく現在は果樹園になっているものもあるし、荒地、あるいは畑、また広葉樹に変わっているところもあるのだろう。現実的に桑の木がそのまま生えているような場所は「荒地」なのだろうが、そもそも現在の国土地理院の地図に表されている記号が「正しいか」と言えば、NOとも言える。繰り返すが「既耕地」という捉え方をすると、水田は現地図に記されているものの中に、既に「荒地」と果てている場所が多い。山の中の「田」など、今ではわとんど消滅しているが、実際の地図にはまだまだ「田」記号が見える。

 ということで地図記号が消えたからと言って、現在の地図が正しいかといえばそうでもない。今や「既耕地」で表されるのは「田」「畑」「茶畑」「果樹園」のみとなった。かつての地図には多様な植生が見えたのに、今では「田」と「畑」と「果樹園」に集約されてしまった。確かに桑畑は今や見られないが、数十年において現状より地図の方が大きく変わった、と言えそうだ。ちなみに天竜村にも、南信濃村にも「茶畑」の記号は、現在の地図に見ることはできない。

参考 現在の地図記号


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