山室神社拝殿の舞
戸ごと舞
「新井組獅子舞」の法被
伊那市高遠町山室に伝わっている獅子舞について触れているが、昨日は那木沢の北隣の宮原にも足を運んだ。宮原については明日触れることとし、今日は那木沢の南、久保集落の南隣になる新井の獅子舞について触れる。新井は現在15戸ほどと、那木沢とほぼ同じ戸数。しかし、家屋の数は明らかに那木沢より多いから、無住の家があるということになる。新井には道祖神が2体あり、一つは集会施設の脇に建てられたもの、もう一つは同じ県道沿いで、久保との境に近い所に建てられている。しかし、新井では道祖神と獅子舞との関係は現在の姿からは全く見られない。戸ごとに獅子舞が舞われているが、その際に道祖神のところで舞うということもなかったようだ。もちろんその関係性をうかがうコメントも現在は聞かれない。
午前9時に山室神社で舞ってから戸ごとの舞になると言うので、山室神社に向かった。神社で最初に舞うことから、道具が神社に納めてあるかと思ったらそうではなく、道具は集会施設に納められているという。関係者が集まるまで神社の庭では焚火がされ、そこでお神酒をいただいてから獅子舞となる。拝殿の中で舞われる獅子舞は、厳かな雰囲気があるものの、関係者以外のいわゆる見学者はほぼいない。ここでも移住されて10年ほどの方が舞のあと持ちをされていて、継承に力を添えておられる。さらにその方の奥様は笛も吹かれる。那木沢同様に移住者の存在は大きい。コロナ禍前は戸ごと舞われていたというが、今年は依頼された家のみ回るということで、民家2戸とお寺さんの3軒だった。なお、お寺さんは新井ではなく久保集落にある。那木沢でも聞いた話であるが、かつて戸ごと舞をされていた際には、お寺にも行ったと聞いた。繰り返すが那木沢から新井までの集落はそう遠くなく、かつては久保には店もあったため、そうしたところにも舞に行ったという。
今年は普段着で舞われていたが、本来は法被を着用するという。その法被を最後に舞う集会施設で見せていただいた。「新井組獅子舞」と染められており、背には「新井」の文字が入る。舞は三段組になっていて、それぞれに舞の名があるか聞いたが「教わっていない」という。『高遠町誌』にこのことについて触れられており、始まりを「無縫の舞」と言うらしく、正面を向いて何も持たずに一舞(腕を広げ左、右、左と振る)、三歩前進して一舞、左に曲がって一舞、さらに左に曲がって前進し一舞、また左に曲がって正面を向いて一舞、と四節から構成される。次いで、「剣の舞」となり、後持ちより左手に刀が渡され、「身は三尺の剣を抜いて悪魔を祓うとね-」という語りが始まると、語り通り刀を鞘から抜いて、右手に持って広げた後、立てたまま刀を左右に3回動かし、笛が吹かれると同時に刀を横にして左手で添えて左右に動かしながら上下に3回揺らす。この際「氏子繁昌と舞いまする」と語りがあると、前進し同じように左右に動かしながら上下に3回揺らす。また「神もなぐさむ ひとやすみ」の語りがあると前進し、繰り返す。そして「ところ繁昌と舞いまする」の語りで、刀を立てて振りながら元の位置に後ずさりして戻る。そして刀を立てたままくるくると回して刀を右へ祓うと、前進しながら同じように刀を祓いこれを「無縫の舞」同様に四節舞うと刀を降ろす。次いで、「祓いの舞」である。後持ちが幌を高く上げて広げるのだが、一人では大きく広げられないため、幌の中に人が数人加わる。加わる人は戸ごと舞では、訪れた家の者も参加する。あたかもこうして参加することでご利益があるいう意図がうかがえる。この舞では頭をカタカタと音を立てながら激しく左右に振るもので、その際問答がある。
問「お先は何と」
答「勿体なくも伊勢神宮」(最初のところは早口でよく聞こえないが『高遠町誌』には「勿体なくも」とある)
問「中は」
答「中富祓い」
問「後は」
答「ショージョウ 悪魔祓い」
三段組の舞一舞で5分ほどのもの。とりわけ最後の「祓いの舞」に、子どもたちが加わって賑やかに舞うのが、新井の特徴である。
なお、この日の獅子舞の様子もYouTubeで公開されている。遠照寺でのものである。
R60102新井獅子舞い
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