Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

乾電池のこと

2022-01-25 23:57:01 | つぶやき

 ラジオで視聴者のこんな意見を紹介していた。懐中電灯に必要な電池が3本。ところが電池を買いに行くと4本単位。3本使うと1本あまってしまう。懐中電灯に使う電池なら、すぐにまた必要になるわけではないから、しばらくたってまた買おうとすると、結局また4本。いつも1本あまってしまうというわけだ。もちろんもう1回4本買えばちょうど3本になってあまりはなくなる、というわけだが、もしかして1年くらい、いやもっと経っていたら、それまであまりの1本がちゃんと管理されて保存されているかも危ういし、そもそも古い電池が100パーセントというわけにいくのかどうか・・・。まあそんな具合の不満を紹介したものだった。

 必ずしも4本単位というわけではなく、4本単位の売りが多い、というものだが、確かに1本ずつは売っていない。したがって必ず「あまり」が出てまうのは誰もが経験する。ぴったりという例は、むしろ少ないだろう。いつも新鮮(新しい)な電池を使おうと思う人には、不満に違いない。

 こういう経験があったから、というわけでもないが、わたしは通常の電池を使うのは辞めた。懐中電灯ぐらいしか使わないというのならそれでも良いが、わたしがよく利用する「電池」といえば相手はストロボ、置時計、室内の感知式ライトといったものだろうか。置時計はめったに電池を交換することはないが、ストロボは中途半端だと現場で不安になるから、「ストロボを使う」という時は必ず新しい(満充電)ものを装填するし、スペアも持参するようにする。したがって満足させてくれるとすれば充電タイプの電池となる。いわゆるエネループの電池をたくさん買ってあって、切れる度にそれを交換したり、常に満充電の電池を携帯したりするようにしている。いちいち乾電池となると、「どの程度使える?」と不安になる。懐中電灯レベルなら許せるが、いざ使おうとしたら「光らなかった」では後悔が募ってしまう。


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