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(前の記事は こちら )
上野公園にはいくつかの博物館・美術館がある。その中でも、ひときわ目立つのが、この東京国立博物館である。
本館の外観は、洋風建築に瓦葺きの屋根をもった建物であり、愛知県庁の外観と似ている。以前、京都国立博物館に行ったことがあるが、そちらは洋風の宮殿のような外観であった。どちらも戦前に建てられた建物であるが、威容を感じさせる。
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宮殿といえば、ここでは表慶館と呼ばれる建物がある。本館が1937年建造であるのに対し、こちらは1908年建造と、主要な建物では一番古い。訪れた時は、修復作業中のため、足場が組まれていた。
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本館の玄関に入ると、正面ホールの階段と時計が目に入る。展示室はこの2階と1階にあるが、順路どおりまずは2階から展示を観ることにした。
はじめに入った特別展示室では、「五百羅漢図」が展示されていた。よく聞く名前であるが、五百人の「羅漢」つまり聖人を中心に、仏教の修行や天災・地獄からの人々の救済、などが50の掛け軸に描かれている。江戸期に描かれたものであると言うが、驚くことに、羅漢が鼻をかむ、寺院などを大工道具で自ら建造する、など俗世間の人々と何ら変わらない様子もまた、この掛け軸には描かれている。また、それぞれの羅漢には名前があり、ことこまやかに、持っている道具やしぐさなどを示した書が残されており、展示されていた。
このほか、本館では、日本の古代から近代までの様々な美術品、工芸品が展示されている。その数が膨大なため、本館全ての展示品を観終わる頃には、すでに午後4時前となっていた(つまりは、3時間近く本館にいたことになる)。
閉館時間も近くなっていたので、少し急いで平成館へと移動。ここでは、考古学研究を中心とした展示が行われており、縄文期からの壺や甕、馬具などの装飾品が展示されていた。時間は押していたが、最後の最後に、高専での研究とリンクする展示が来たので、少し見入ってしまった。
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夕日が垂れ込める中、平成館を後にする。この日は週末であったため、帰りは入り口西にある黒門(因州池田家屋敷表門)を利用することが出来た。
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さすがかつての大名屋敷の門だけあって、威厳を感じる。
国立博物館での余韻に浸りながらも、帰りは足早に、上野駅の公園口から山手線に乗り込んだ。
(この話のつづきは こちら に続きます)
上野公園にはいくつかの博物館・美術館がある。その中でも、ひときわ目立つのが、この東京国立博物館である。
本館の外観は、洋風建築に瓦葺きの屋根をもった建物であり、愛知県庁の外観と似ている。以前、京都国立博物館に行ったことがあるが、そちらは洋風の宮殿のような外観であった。どちらも戦前に建てられた建物であるが、威容を感じさせる。
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宮殿といえば、ここでは表慶館と呼ばれる建物がある。本館が1937年建造であるのに対し、こちらは1908年建造と、主要な建物では一番古い。訪れた時は、修復作業中のため、足場が組まれていた。
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本館の玄関に入ると、正面ホールの階段と時計が目に入る。展示室はこの2階と1階にあるが、順路どおりまずは2階から展示を観ることにした。
はじめに入った特別展示室では、「五百羅漢図」が展示されていた。よく聞く名前であるが、五百人の「羅漢」つまり聖人を中心に、仏教の修行や天災・地獄からの人々の救済、などが50の掛け軸に描かれている。江戸期に描かれたものであると言うが、驚くことに、羅漢が鼻をかむ、寺院などを大工道具で自ら建造する、など俗世間の人々と何ら変わらない様子もまた、この掛け軸には描かれている。また、それぞれの羅漢には名前があり、ことこまやかに、持っている道具やしぐさなどを示した書が残されており、展示されていた。
このほか、本館では、日本の古代から近代までの様々な美術品、工芸品が展示されている。その数が膨大なため、本館全ての展示品を観終わる頃には、すでに午後4時前となっていた(つまりは、3時間近く本館にいたことになる)。
閉館時間も近くなっていたので、少し急いで平成館へと移動。ここでは、考古学研究を中心とした展示が行われており、縄文期からの壺や甕、馬具などの装飾品が展示されていた。時間は押していたが、最後の最後に、高専での研究とリンクする展示が来たので、少し見入ってしまった。
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夕日が垂れ込める中、平成館を後にする。この日は週末であったため、帰りは入り口西にある黒門(因州池田家屋敷表門)を利用することが出来た。
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さすがかつての大名屋敷の門だけあって、威厳を感じる。
国立博物館での余韻に浸りながらも、帰りは足早に、上野駅の公園口から山手線に乗り込んだ。
(この話のつづきは こちら に続きます)