北海道には、「廃鉱」・「廃線」・「廃屋」の三つの「廃」が在るとある人が言っていた。 「ああ、かつてわが谷は緑であった。去りゆきし人々の谷」で終わるR・ルウェリンの名作「わが谷は緑なりき」が題材としていたのもウェールズの炭鉱でした。過ぎ去ったもの、滅び消え行くものから受けるある種のレクイエム(挽歌)を感じる場所として、私が思うもう一つの「廃」が、北海道のいたる所にある「廃校」です。一種の廃屋と言ってしまえばそれまでですが、校舎と誰もいないグランド跡地が醸しだす空間は、「廃屋」のそれとはまた違った異質さを感じます。
「廃屋」を見るとそこに住んでいた人々の生活に思いを馳せるのですが、「廃校」の場合には、何か遠くを懐かしむようなノスタルジーに捉われるのです。
この4枚の写真は、数十年前に廃校になった津別の東岡小中学校の現在です。
校庭の桜が、今もきれいに咲き誇っています。
「桜の里」として甦らそうと地元の有志たちによって苗木がグランドに植えられています。
校門の前にある祠
「廃屋」を見るとそこに住んでいた人々の生活に思いを馳せるのですが、「廃校」の場合には、何か遠くを懐かしむようなノスタルジーに捉われるのです。
この4枚の写真は、数十年前に廃校になった津別の東岡小中学校の現在です。
校庭の桜が、今もきれいに咲き誇っています。
「桜の里」として甦らそうと地元の有志たちによって苗木がグランドに植えられています。
校門の前にある祠