テレビをそんなに続けて観ない私が
大好きだった番組があります。
それはTV東京の「ルビコンの決断」という
現代版偉人伝のような情報番組。
あるものを作った人の「成功」の裏には
数多くの失敗と挫折が繰り返され
苦労と努力、
そして多くの協力によって
成功をなし遂げるに至る重要な「決断」があった
そういった経緯をドラマ仕立てにして
60分間の中で3部くらいのセクションに分け
それぞれのセクションで
司会の木村よしの、池上彰、アナウンサーの3人が
時々ゲストを交えて4人で
補足説明や
トークを交えて構成される番組です。
印象に残っているのは沢山ありますが
その中でも、
ユニクロのフリースが開発されるまでの話、
ホッピーの女性社長の話、
青色発光ダイオード開発の話、
ヤマハの電動アシスト自転車の話などです。
第一回目からほとんど観てました、
録画してたりもするのでした。
そんな番組が
来週で最終回となります。
とても残念です。
そういえば、
先週だったか・・・
もっと前だったか
新聞の書評欄で
この番組を評論したコメントが出ていました。
そのコメントに
少々ムッとして憤慨を感じたことを
覚えています。
確かあの内容は・・・・
「ルビコンの決断という番組は
非常に感動する番組構成であのは確かだが、
毎回毎回、最終的には成功して終わる。
それだけが人生の教訓になるとは思えない。
失敗して終わる場合も数多くある。
それが人間というものだ。
成功で終わる構成はいい加減、観飽きた。」
新聞にそう書いてあったのです。
失敗して終わることもある・・・
確かにそうです。
否定はしません。
ただ、この世の中の風潮として、
失敗して終わっている人を
誰が真似したいですか?
失敗してやり直して頑張っている人を
どこか嘲笑っているのはどこの社会ですか?
失敗してやり直そうとしても
その機会すら与えない風潮の社会は
いったいどこの社会ですか?
失敗した人がもし犯罪者だったら
現実社会で素直に受け入れることが
できていますか?
「ルビコンの決断」という番組の中で
成功者が、かなりの挫折と苦労と努力を通じ
ある時に大きな決断を迫られる。
それを決めるポイントが
この番組の大きな主題であると私は思うのです。
失敗して終わるということに
ここで間違えた選択をしたから
挫折したんだと
教えるのでしょうか。
反面教師として利用するのでしょうか。
誰も失敗したくて
決断はしないと思う。
成功を夢見るから決断できるのであって
マイナス面ばかり強調されたら
小さくまとまるだけで
大きな成功は成し得ないように思うのです。
マイナス面だけを見たがる人なんて
いるのでしょうか・・・。
人は、最後に成功があるから
その偉人たちの業績に憧れるのでしょう。
だから努力を惜しまないのではないでしょうか。
失敗もあるのはわかっています。
しかし、そんなことを恐れていて
良いものが生まれて来るわけがないと
私は思います。
その新聞の記事の
あまりのおかしさに
(否定的で情けないと思った)
何度か読みなおして
真意を計ろうとしましたが
できませんでした。
。。。
大好きだった番組があります。
それはTV東京の「ルビコンの決断」という
現代版偉人伝のような情報番組。
あるものを作った人の「成功」の裏には
数多くの失敗と挫折が繰り返され
苦労と努力、
そして多くの協力によって
成功をなし遂げるに至る重要な「決断」があった
そういった経緯をドラマ仕立てにして
60分間の中で3部くらいのセクションに分け
それぞれのセクションで
司会の木村よしの、池上彰、アナウンサーの3人が
時々ゲストを交えて4人で
補足説明や
トークを交えて構成される番組です。
印象に残っているのは沢山ありますが
その中でも、
ユニクロのフリースが開発されるまでの話、
ホッピーの女性社長の話、
青色発光ダイオード開発の話、
ヤマハの電動アシスト自転車の話などです。
第一回目からほとんど観てました、
録画してたりもするのでした。
そんな番組が
来週で最終回となります。
とても残念です。
そういえば、
先週だったか・・・
もっと前だったか
新聞の書評欄で
この番組を評論したコメントが出ていました。
そのコメントに
少々ムッとして憤慨を感じたことを
覚えています。
確かあの内容は・・・・
「ルビコンの決断という番組は
非常に感動する番組構成であのは確かだが、
毎回毎回、最終的には成功して終わる。
それだけが人生の教訓になるとは思えない。
失敗して終わる場合も数多くある。
それが人間というものだ。
成功で終わる構成はいい加減、観飽きた。」
新聞にそう書いてあったのです。
失敗して終わることもある・・・
確かにそうです。
否定はしません。
ただ、この世の中の風潮として、
失敗して終わっている人を
誰が真似したいですか?
失敗してやり直して頑張っている人を
どこか嘲笑っているのはどこの社会ですか?
失敗してやり直そうとしても
その機会すら与えない風潮の社会は
いったいどこの社会ですか?
失敗した人がもし犯罪者だったら
現実社会で素直に受け入れることが
できていますか?
「ルビコンの決断」という番組の中で
成功者が、かなりの挫折と苦労と努力を通じ
ある時に大きな決断を迫られる。
それを決めるポイントが
この番組の大きな主題であると私は思うのです。
失敗して終わるということに
ここで間違えた選択をしたから
挫折したんだと
教えるのでしょうか。
反面教師として利用するのでしょうか。
誰も失敗したくて
決断はしないと思う。
成功を夢見るから決断できるのであって
マイナス面ばかり強調されたら
小さくまとまるだけで
大きな成功は成し得ないように思うのです。
マイナス面だけを見たがる人なんて
いるのでしょうか・・・。
人は、最後に成功があるから
その偉人たちの業績に憧れるのでしょう。
だから努力を惜しまないのではないでしょうか。
失敗もあるのはわかっています。
しかし、そんなことを恐れていて
良いものが生まれて来るわけがないと
私は思います。
その新聞の記事の
あまりのおかしさに
(否定的で情けないと思った)
何度か読みなおして
真意を計ろうとしましたが
できませんでした。
。。。
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