残暑お見舞い申し上げます
お便り嬉しく拝見させていただきました。そちらの空気にもすっかり慣れて
お元気でお過ごしのご様子、何よりかと存じております。あれから丁度五ヶ月が過ぎてしまいました。一人一人、被災地の方々はいろいろな思いで、一言では言い表せない複雑な思いで、長かった方、あっという間の方、この五ヶ月を歩んできたのではないでしょうか。あの災害が無かったならと鎮魂の思いで、このお盆を、誰しもが思っていることではないでしょうか。先日、海沿いのある小学校に立ち入ってみました。この時期この季節でしたら子供達の楽しそうな声がそこここに聞かれる場所でしょうが、聞こえるのは松林が根こそぎ倒され、直ぐそこに海が見えて、潮騒ばかり。人っこ一人いない小学校の校舎は原形を留めていましたが教室に入ってみると、黒板の上に掲げてある掛け時計の針が、どの教室も「三時二十分」を指しているのが、胸を締め付けられる思いでみてきました。津波がこの時刻に、全てのものと同時に時計をも飲み込んだことを表しているのでしょう。
楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、飯館村、川内村、南相馬市、福島の浜通りには四十年位前から通いつめ、親しくお付き合いさせて頂いていた弊社のお客さんが百軒ほどおりました(過去形)。海沿いの方は津波で流され、追い討ちをかける様に原発の事故で否応なしに、農業を捨て、各地に避難せざるを得ない悲惨さには、まさに涙無しには語れない心境でおります。最低十年くらいは故郷に帰ることが出来ないような状況の中、何とか一日でも早く収束宣言し、緑豊かな故郷に帰ることが出来、再び生業が出来ることを願わずにいられません。
仮設住宅が山沿いの平坦地に着々と建設され、復旧復興にみんなで力を合わせ立ち直りつつあることも事実のようですのでご放念いただきたく思います。
おじさんも否応無しに故郷を離れ、さぞ残念でならないことでしょう、暦の上では立秋とは云え、当分暑さは厳しい日々が続きそうです、何卒御身体大切に留意され、お健やかに過ごされんことを切にお祈り致しております。