「までい」とは「までいに子供を育てないと後で苦労するよ」などと使われていた方言である。辞書によると「までい」の語源は「真手(まて)」で、「左右そろった手」「両手」を意味する。お茶を出すのにも両手で「どうぞ」が基本である。両手ということから、さらに「大切に」「念入りに」「じっくりと」「心を込めて」「手間暇惜しまず」「つつましく」しいては「もったいない」など多くの言葉が内在されている。「までいライフ」には「大量生産、大量消費、大量破棄」で発展してきた日本経済であるが、今後の暮らし方を変えていく必要があるのではないか。また日本人特有の良い国民性をもう一度取り戻して、「お互いを気遣い合う」環境や土壌とし、住みやすい地域をつくっていくことが必要ではないか。また日本国民は、自分で考え、自分で判断し、自分で責任を取ることが薄い国民に、いつのまにかなってしまっていないか。権利を主張するばかりでなく、義務を果たすことを再度考える必要があるのではないか。「ないものねだり」から「あるものさがし」へ、さらに「循環型社会」を組み立てていくことが大切ではないのか。この「までいライフ」とは、むしろ日本の20年30年先の在りようではないかだろうか。経済成長だけが国を救う道だという時代ではなくなったのではないだろうか。成熟社会の中でどう発展していくかを考えるべし、と天は原発事故という、とてつもない災害をもって、われわれに問い詰めてきたのではないだろうか。「失われた20年」というように、後ろ向きに考えてしまい、もっと便利に豊かにと願って多くのエネルギーを必要とし、それを原発に頼ってしまったようである。この「までいライフ」を日本国民一人一人が実行に移していく「転換期」ではないだろうか。 福島県飯舘村村長 菅野典雄 のコラムから