私のひとり言

出来事、出会いなど気の向くままに!

パリーグレギュラーシーズン優勝

2013-09-27 21:20:45 | Weblog
近鉄球団が消滅という事態になった時、IT企業の楽天が名乗りを上げ、当時のオリックスと近鉄の選手たちを分配トレードで振り分け、都落ちのような格好で選手たちが宮城仙台を本拠地にやってきたのが九年前。宮城東北の人達は喜びましたね!我らのプロ野球球団が出来たことを。プロ野球の球場にはほど遠い施設の県営宮城球場を突貫で改修工事、何とか開幕に間に合わせクリネックスタジアム宮城という見違えるスタジアムに生まれ変わった姿には驚きを覚えました。一年目は田尾監督のもと地元の期待を一身に集めスタートしましたが、如何せん寄せ集めの選手達、監督も苦しかったと思う、100敗近い敗戦で首位から50ゲームも離され一年目は無残に散って行きました。田尾監督にもう一年位やらせてみてもよかったのではないかとあの時思いました。二年目からはボヤキの野村監督が就任、4年間で一度は2位になりCSに駒を進めましたが優勝という声は聞こえませんでした。野村監督の影響で特に嶋捕手あたりは成長したようにも思われるが、「いい時は俺のお陰、悪い時は選手のせい」そんな姿がちらほら見受けられたのは私だけではなかったでしょう。ブラウン監督を挟んで七年目から星野仙一監督が就任、私はあまり好きな監督ではなかったが今までの実績を鑑み彼の手腕に期待した人も多かったのではないでしょうか。就任早々、あの忌まわしい東日本大震災3・11の大震災が起きてしまいました。楽天選手会長、嶋の言葉が印象的でした「東北人の底力を見せましょう・野球の底力を見せましょう」と。この時から楽天が勝利するたびに被災地で特に仮設住宅に入っている方たちは元気をもらった方も沢山いたことと思わます。そして九年目の今年ジョーンズ、マギーの4番5番の助っ人を補強し、育ててきた生え抜きの銀次、舛田の台頭、1番に定着の岡島、2番イブシ銀鉄壁な守りの藤田、メジャー帰りのベテラン松井そして入団2年目島内の活躍、足の速い聖沢、セパ交流線あたりから打線が繋がり、楽天ではなく逆転イーグルスと言われるほど諦めない野球が浸透し、全員野球が完成していったようでした。投手をリードした嶋の成長も見逃せません。最後になりますが何といってもやはり守りの要はピッチャー、田中将大の活躍なくしてはこの優勝はあり得ない、ここまで開幕から22連勝の負けなし、星野監督にして「こんなピッチャーに巡り合えて幸せ」と言わしめたほど、「これだけの投手は100年に一人」と。また新人にして現在14勝の則本の活躍も特筆すべきものである。青山、小山、辛島、仙台出身メジャー帰りの齊藤、長谷部、ラズナー、ハウザー、の活躍も忘れてはならない。全員で勝ち取った優勝であろう。
速いのか遅いのか解らないが苦節九年目にして初めてのリーグ優勝、3.11から二年半が経過し精神的な復興がここに来て少々意気消沈しているところに、この東北に明るいニュース、元気勇気を吹き込んでもらえたことは確かなような気がしている。これからCS、日本シリーズとまだ一山二山残っているが何とか勝ち進んで「てっぺん」を勝ち取ってもらい、ふたたび被災地に元気を吹き込んでもらい、勝利の美酒を東北の皆で分かち合い復興の活力にしたいものである。とりあえず東北楽天イーグルスのリーグ優勝おめでとう!感動をかりがとう!