私のひとり言

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「独裁」と「リーダーシップ」の違い

2011-12-19 22:29:15 | Weblog
 「経営の中心部分が腐っている」―オリンパス旧経営陣による長年の巨額損失隠しを調査していた第三者委員会が6日に発表した調査報告書のエキスである。なんと激しい言葉だろう。内視鏡などの光学医療機器で世界シェア7割を誇り、従業員総数(連結)3万6000人の超一流会社に対するものとは思えない。
 損失隠しを主導していた元社長(前会長)は、社長を10年も務め、「強力なリーダーシップ」があったとか。しかし、報告書は、その経営体制を「イエスマンばかりで、異論を言えない状況」と指摘、取締役会や監査役会を「イエスマンばかりで、まったく機能していなかった」などと切って捨てている。字句こそないものの、元社長を「独裁者」と断じたのに等しい。
 先の大阪市長選で当選した橋下徹氏を「独裁者」と呼ぶ人がいる。だが、大阪市民は橋下氏の「強力なリーダーシップ」に期待したのだ。
橋下氏の政治手法とオリンパスのケースから、「独裁」と「強力なリーダーシップ」との評価の違いは、どこにあるのだろうかと思いをめぐらした。
その言動は紙一重で、その差は極めて微妙だ。あえていうなら、部下の話に耳を傾けるか否かの違いだろうか。部下の意見を聞かない人は「独裁者」、耳を傾ける人は「リーダーシップを持った人」だと思う。
中には、部下の意見に耳を傾けながらも、その実、自分の考えを曲げない人もいる。そういう人は耳を傾ける姿勢に意味があるととらえ、真摯(しんし)に聞く。そのため、意見が容(い)れられなくても部下からはおおむね好感をもたれ、「独裁者」とは言われない。
それと大事なことがもうひとつ。「独裁者」といわれても、結果が成功ならば「強力なリーダーシップで…」と評価される。橋下氏がそうだ。オリンパス元社長も損失隠しが表面化しなかったら、きっと「リーダーシップを持った名経営者」といわれただろう。
「終わりよければすべてよし」か、晩節を汚したといわれるか、組織のトップの評価は最後までむずかしい。棺(ひつぎ)を蓋(お)うて事(こと)定まる、である。