からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

青い空4

2016-08-27 | 小説


4.

私、もう達也と一緒にいるの疲れちゃったな」
 光は両手を頭の上で逆さに組み、大きく背中を伸ばした。
「どうして?二十年も一緒にいたんだろ・・・そりゃあ、暴力は最低だけどさ」
「暴力の問題じゃないの」
「じゃ、何故?」
「最近ね、私はどうしてこの人と結婚したのかなって思うようになったの」
「好きになったからじゃないのか?」
「分からないんだな、それが」
「分からない?」
「うん。高校を卒業して、俊ちゃんが私達から遠ざかるようになって、何だかぽっかりと心の底に穴があいたような気がしたのよ。心臓だけを持ってかれるような感じ。分かる?・・・・・そんなとき、気がついたら達也だけがいつも私の側にいてくれたのよ。彼はあなたがいなくなったあとも高校時代と変わらず、優しく接してくれた。何年か付き合って、私は彼の気持ちに応えるにはどうしたらいいのか考えたわ。それが彼と結婚するということだったのよ」
 俊は動揺した。そしてあの頃先に見捨てられたのは俺の方だったんじゃないか、と思った。気づいたら、達也と光は恋人どうしになっていて、俺の居場所はなくなっていた。俺は彼らのもとから去る決意をして、彼らの結婚とともに姿を消したのだ。それが間違いだとしたら、この二十年間はなんだったのだろうか。
「あーあ、ほんと、三人が出会った頃からやりなおせたらなあ」
 光は大きく溜息をついた。
「やり直せたらどうする?」
「そうね、途中で投げ出した光&ファンタジーを再結成させるわ」
「それで?」
「うん。それでね、私達は突然綺羅星のごとく、ミュージック・シーンに出現するの。毎回のようにヒット曲を連発して、出す曲全てがミリオンセラーで、そしてガッポガッポお金をかせいで、それから・・・」
「それから?」
「・・・いつも三人でいるのよ。私と俊ちゃんと達也の三人で、ね」
 光はそう喋り終え、微かに小首を傾げて俊を見つめると、もう一度小さな声で、言った。「そう、三人はいつも一緒なのよ」
 俊は自分を見つめる光の視線に耐え切れなくなり、空を見上げた。青空は蒼く澄み、渡り鳥の一群が北から南へと向かって行った。太陽の光が目に入る。俊は近視眼差しになり、やがて目を背けた。光の方に目を遣ると彼女は未だ自分の方を見つめている。その眼差しは真剣だった。
「俺と会わなければよかったのかもな」
「どうして?」
「俺と会わなければ光は過去を懐かしむこともなかったし、達也とのことも疲れたなんていうこともなかった」
「そんなことない」
 光は否定した。
「いいや、きっとそうなんだよ。俺は光達の前に現われてはいけない存在だったんだ。もう一生会わないって決めていたのに・・・。俺はなんて間の悪い男なんだろうな」
 唐突な俊の告白に光は動揺しているようだった。驚きが悲しみに変わり、目を潤ませ、今にも溢れ出しそうな涙を必死にこらえている様子がみてとれた。
「そんなこと言わないで、俊ちゃん。・・・・そんなこと言わないでよ」
 光は身体を寄せると背後から俊の身体を抱きしめた。
 石鹸の清らかな匂いがした。背中に感じる光の息づかいが苦しかった。頬にあたる夏の柔らかな風が俊の心を落ち着かせようとしている。弁当を食べていたカップルは、何事かと怪訝な顔をして、こちらを見ている。ウォーキングの年寄りはもうどこにもいない。
俊は大きく息を吸い、吐いた。
「もう、帰ろう」
 俊は光の腕を注意深く解きながら、出来るだけ優しい声でそう言った。
「達也が待っている」
「うん」
「昨夜のことは、きっと反省しているさ」
「そうね」
「これからもずっと前を向いて歩いていくしかないんだよな、俺達」
 俊はそう言い、光の手を引きながら立ち上がった。


 俊は、市民体育館まで光を送っていった。市民体育館に着くまでの車中、光はずっと高校時代の昔話を俊に向けて話し続けた。あの頃の三人がどんなに仲良かったかについてだ。俊は苦笑いを隠しながら、うん、だとか、そうだね、とか返事を返した。
車が目的地に着き、車から降りる段になって光は「またね」と言った。俊は少し迷ったが、やはり同じように「またね」と返した。それを聞くと光は安心したような表情を見せ、微かに笑い、くるりと背中を向けると、その場からゆっくりと離れていった。
俊はエンジンを停止し、車の中から彼女の後姿を追い、消えてなくなるまで見送った。
またね、か。
俊は呟いた。
これからも達也が暴力を振るうたびに光と会うことになるのだろうか。それは嬉しくもあり、同時に悲しいことでもあった。光に会うことは懐かしさとともに、後悔の風をも運んでくるからだ。彼女の存在は自ら意識するしないにかかわらず、自分を苦しめる存在になる。
もう、昔には戻れないんだよ、光。
俊は上着のポケットから煙草を出し、箱から一本引き抜くと口にくわえ、百円ライターで火を付けた。
煙草の煙を大きく吸い、吐き出し、一息付くと、それでも、と思った。それでもなるようにしかならないんだよな。
俊は車のエンジンをかけ、しばらくの間、銜え煙草のまま思案した。
そうさ、なるようになれ、だ。
煙草の先端の灰が長く保ち、そしてそれはやがて重力に負けるように、静かにそっと折れた。




The Beatles - The Long And Winding Road (1970)
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