からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

Swing Out Sister - Breakout • TopPop

2020-08-16 | 音楽
Swing Out Sister - Breakout • TopPop



宿屋の飯盛 - 二月の海 (1975)



Lola Marsh - Echoes




Bob Dylan - Sara (Audio)




クリムゾンの迷宮


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
貴志/祐介
1959年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。生命保険会社勤務を経てフリーに。1996年『十三番目の人格―ISOLA―』(第3回日本ホラー小説大賞長編賞佳作「ISOLA」を改題)。1997年『黒い家』(第4回日本ホラー小説大賞受賞)

〇あらすじ

藤木芳彦は、この世のものとは思えない異様な光景のなかで目覚めた。視界一面を、深紅色に濡れ光る奇岩の連なりが覆っている。ここはどこなんだ? 傍らに置かれた携帯用ゲーム機が、メッセージを映し出す。「火星の迷宮へようこそ。ゲームは開始された……」それは、血で血を洗う凄惨なゼロサム・ゲームの始まりだった。『黒い家』で圧倒的な評価を得た著者が、綿密な取材と斬新な着想で、日本ホラー界の新たな地平を切り拓く、傑作長編。


〇レビュー

かなり常軌を逸した設定。
迷宮の中で、人間同士が喰うか喰われるかの鬼ごっこといえばわかりやすいだろう。
これぞ真の鬼ごっこ。
サバイバルの極限状況である。
『黒い家』とは趣が異なり、また違ったおもしろさがある。
ただ、じりじりと追い詰められる感じは共通かもしれない。
命を狙われているという恐怖、敵が見えない恐怖はある。
とにかくどんどん先を読みたくなる作品だ。貴志さんのサバイバルにおける知識の豊富さにも驚かされる。
また、何といっても貴志さんのその文筆力の凄さにも注目したい。
自分が主人公になったような気分になってしまう。
ただの文章なのに、まるでその場面を見ているかのように頭の中に映像が浮かぶ、その表現力は見事だ。
ホラーといっても、ただグロテスクなだけではなく、もっと別のピンと張り詰めた恐怖がある。
現代的なサスペンス・ホラー、と言ったところだろうか。
貴志さんの作品は他にも「「ISOLA」「青い炎」などを読んだが、この作品はその中でも一番好きだ。
前述したように、少々グロイ描写もあるが、そういうのが大丈夫な人には楽しめる作品だと思う。
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Plastic Blues

2020-08-16 | 音楽
Plastic Blues



灰色の瞳(スタジオ録音盤)



Pete Seeger & Judy Collins - Turn, Turn, Turn - 1966



Paul Weller - Wild Wood (feat. the Orchestra of Syrian Musicians)



ネトウヨと呼ばれる方々が、「終戦記念日」を「敗戦記念日」と呼びたがるのが不思議だ。

彼らは戦後の太平洋戦争に対する歴史教育、その底にあるものを自虐史観と呼んでいる。

要するに、あの戦争は日本が悪い、日本は負けたのだから何も言えない、原爆を落とされたのも結局は戦争を終わらせるためには仕方がないし、そのことで何十万もの世界の命が助かったではないか、というともかく反省に次ぐ反省、洗脳のことを言っているのだと思う。

それは理解できるのだが、私個人としては思い返してみてもそんな教育は受けたことはないし、ただ戦争の悲惨さやどこの国が正義とかではなく「戦争それ自体が悪」である、と習っただけだ。

そしてまたそういう方々が言うには「あれは欧米からのアジアの開放のための戦争だ」ということらしい。

それはしっかりと文献を調べてみれば判るのだが、ならどのような理由で世界大戦が起こったのか?石油?そうだねそれも原因のひとつ。

けれども、じゃあ何故石油輸出とめられたの?欧米の植民地支配をやめさせようとしたから?既得権益?

確かにそういう面もあったのかもしれない。

しかし歴史的にはっきりしていることのひとつとして、日本陸軍は石油資源を求めて印度に侵攻した。そして決して「解放」ではなく印・欄・英とぶつかったのである。

米国の戦争回避或いは禁輸政策の緩和の条件の中にはそれに対する撤退も含まれていたのである。けれども時の陸相東条英機は「出来ない」と言ったのである。相手が植民地として支配していようがどうあれ、「石油資源を求めて」印度に侵攻し米国との戦争の危機があるにもかかわらず、断ったのである。しかも天皇の判断は一に政治的解決、二にやむをえなければだが、それでも武力衝突は避けること、だったのに・・・。


まあ、それはいい。

私はその時代の人間ではないし、あらためて考えてみると自分の目で見てきたことではないので彼らのように100パーセント真実とも言い切れないのだから。

そして彼らがその日本の戦中戦前の行為の正当性を訴える流れの中で、何故「敗戦記念日」という言葉にこだわることがどうしても判らないのである。

もし私が彼らであったならば私としてはあの戦争の正当性を訴えたいのであれば「敗戦」という言葉の響きはどうしても許しがたいし、使いたくもない。

なのに何故使いたがるのかその理由がどうしても判らないのである。
コメント (6)
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