からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

Lucia - Silence

2021-06-23 | 小説
Lucia - Silence



竹田の子守唄 井筒香奈江



思いきりアメリカン 杏里



Tennis - Timothy | Buzzsession




(ちんちくりんNo,30)

 僕が幸運だったのは、九つ上の姉がいたことだった。母の発病は丁度彼女が大学を卒業して地元に戻って来た年の五月の初めの事で、母の精神科への通院や家計、僕の学校関係等は彼女が一手に引き受けてくれた。掃除や洗濯、夕飯の支度は当番制にした。
 連絡の取れなかった父も六月には父の方から電話をして来て、事態を知ると次の日の夕方には単身赴任先から帰ってきた。母の一点を凝視するばかりで独り言を言う他は反応の乏しい様子を見て、相当の衝撃を受けたようだった。父もまた連絡が取れなかった間は大変だったらしい。左遷させられたということに対する悔しさが何時まで経っても消えず、さらに月に四百五十時間という異常な勤務時間によって日々まるで夢を見ているようで現実感のない状態にまで陥っていたらしい。幸い仕事上のミスが重なったことで、これはまずいと、周りの人間が病院に連れて行ってくれ、診断の結果三か月の休養が必要であるということになった。歯を磨くことさえも苦痛に感じ電話をかけることも出ることも恐怖に感じていたんだ、すまなかった、と父は素直にプライドを捨てて僕らに頭を下げてくれた。父は二晩家に泊まって、その間病院へ母の病状についての相談に行ったり、僕の学校の担任に会いに行ったり、近所の親しくしてもらっている家に行って、僕らの様子を時々見てやってくださいとお願いしていた。そういったことをキッチリ済ませた後、父は僕らに「母さん、入院した方がいいかもな」と悲しそうに笑い、三日目の午後にまた赴任先へと戻って行ったのだった。
 母はその後、やはり日中家を空けていることが殆どの僕らだけでは限界があり、何度か入退院を繰り返しながら、やや不安要素がありながらも寛解したという状態になるまでに二年を要した。
 僕の小説では母の発病に至るまでの背景みたいなものは描いていない。いきなりあの日の朝の、主人公の(僕)が見た母の情景から始まる。姉も出てこない。(僕)は近くの親戚の家に面倒をみてもらうことになる。母は、治療と称してその親戚が信心している宗教の、奈良の修行するための施設に連れて行かれる。父は母の状態が良くなるまで帰って来ないし、その理由は実は病気ではなく「向こうで女と暮らしていた」という設定になっていて、最後に母の病気はそのせいで発症したのではないかと(僕)が気づくような描き方をした。ただ、事実にしても小説にしても底に流れるテーマは同じ。ひと言でいえば「母からの自立」といったところだろうか。
 かほるはこの結末で僕が救われるのか、と僕に問うた。もしかしたら小説の主人公だけではなく、僕自身、本当に母から自立するのには現実社会で僕が母からいつまでも逃げていては駄目だと、向き合いなさいと、その上で小説の本当の結末が見えて来るのだということを言いたかったのではないか。僕についての情報は少ないのだから、そこまでは具体的ではなくても、彼女は感覚的にそう感じたのかもしれない。

コメント (2)
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