Robert Plant & Alison Krauss - Can't Let Go (Live from Sound Emporium Studios)
Maika Loubté - Zenbu Dreaming (Official Music Video)
White Bird Tia Blake
Salyu 「Tokyo Tape」
Johnny (New Light) The Dream Academy
(ちんちくりんNo,63)
次の日に僕はいつもより早めに大学へ向かった。昨夜は興奮して眠りに入るまでに時間がかかったが、ふっと気づいて目を開けたら朝になっていた。いつもより気分が良かった。僕は低血圧なのか、普段は朝体を目覚めさせるまでには時間がかかるが、今日に限っては頭がぼうっとも、体が重いも何もない。そんな感覚は久しぶりだった。朝の光が窓から差し込んでいる。鳥のさえずりも聴こえる。僕は跳ねるように夏掛けを翻して起ち上がり、窓を開けた。すでに飛び立っていた小鳥たちが、数羽隣家の屋根の上を通り過ぎて朝陽に向かって行く姿は凛々しく、僕には希望そのものに見えた。海人さん、早いわね、下で庭の花壇の花々に水をやっていた大山さんが僕を見上げて優しい笑顔を見せてくれた。そのような今朝の出来事を考えながら駅を通り過ぎ、自転車のペダルを、僕は必死に漕いで行ったのだった。
いつものように大学の駐輪場に自転車を突っ込み、大学の本部棟の前を通った時に時計を見上げた。午前9時・・・。かほるは先に行っていると言っていたけど、もしかして俺の方が早すぎたんじゃなかろうか。ふと気になったが、僕は構わず中庭へ急いだ。学舎と学生食堂との間に挟まれた広い中庭に足を踏み入れて、例の場所の方向を見た。センスのない丸い白テーブルに数脚の椅子、その内のひとつに果たして座っていた。野球帽を被って初めて出会ったあの日そのままのかほるが・・・。
僕が近づくとかほるは気づいて、大きく手を振った。ばか、恥ずかしいじゃないか。辺りには誰もいないのに僕は思い、少し顔を背け気味に歩いて行き、テーブルの前まで来るとかほるの向かいの席に座った。丁度僕の後ろの先には楓の木がある。
「まさかのバファローズかよ、その帽子」
いきなりの僕の言葉にかほるは帽子に手を置き、明らかに不満の表情を浮かべた。
「あら、かっこいいでしょ、この帽子。赤白青に猛牛のデザイン、因みにロゴは岡本太郎デザインよ」
「うそ」
「うそじゃないわよ。しかも四年前、バファローズがリ―グ優勝した年、後楽園10・7決戦に叔父さんに連れて行ってもらった時の記念なんだから」
僕はしまったと思っていた。こんな話をするために来たのではなかった。かほるが今まで心の奥底に仕舞っていたことを聞くためにここに来たのだ。なのに、出だしで帽子の話なんて。僕は黙ってしまった。そんな、僕の心の内を読んだのかどうか分からないが、かほるは「そうね」と一呼吸おいてから真顔に変わり、おもむろに言葉を選ぶかのように話し始めた。
―どこから話していいのか・・・、だから昔の話から始めます。今から十一年前のこと、・・・私が小学校に入学した年に両親が離婚したの。母はあの薫りいこね、父はK大の医学部教授。よくは知らないんだけど、感染症?・・・について研究してたみたい。離婚原因は、父の研究が認められて、アメリカの大学に誘われたのね。もっと自由に研究が出来るアメリカにこないか、ってね。父は日本の大学にもともと不満を持っていたものだから、即答。家族も一緒に、って思ってたの。永住覚悟で・・・。一方、母は反対したのよ、その頃は出版社に勤めていて編集の仕事をしていたし、それまで書き溜めていた小説もようやく認められるようになってきたしで、何のために今まで頑張ってきたのかって。話し合いは平行線でまとまらず・・・で、結局離婚することになった。そこで問題になったのが、私たち姉妹をどうするか・・・。姉。あー、あの画の姉ね。あの画は写真を送ってもらって描いたのよ。私たち姉妹はとても仲が良かったの。・・・でも父と母はあなたたちはどちらについて行くか、あなたたちの意志で決めなさいって。そんなの決まっているわよね、私はようやく小学校にあがったばかりで、母から離れるなんて考えられなかった。でも、丁度思春期に入ろうしていた姉は悩んだ。父とも母とも勿論私とも、誰とも別れたくなかった。でも決めなくてはならない。ならばどうすれば一番公平になるのかって考えた。その結果、姉は父を選び、遠く離れたアメリカに渡ったの。それからはずっと姉とは手紙のやり取りをしている関係。
そして姉とはそういう関係を続けながら、昨年のこと。やけに胸が苦しいな息切れがするなと思ってお医者さんに行ったらね、これはいけないと・・・、ここの大学病院への紹介状を書いてもらって、色々な検査をして調べてもらって、思いもしない病気に私が罹っていたことがわかったの。病名は心臓内の粘液種、・・・心臓にね。中にね、左心房ってとこに腫瘍が出来てるらしいの。心臓に腫瘍って、驚いた。そんなの聞いたことがなかったもの。聞いたことないわよね、心臓なんて・・・。でもそれが良性の腫瘍だってことがわかって良かった。ああ、なら手術すれば治るわよね、って母と一緒に喜んだ。でも、物事はそう上手くは行かないものよね。出来た場所が悪かった。心臓って血液を流すポンプのようなもの。入口もあれば出口もある。出口の近くにできているらしいの。息切れや眩暈って症状は、腫瘍が大きくなって血流の障害が伴うことによって起こるらしいの。それだけじゃなくて腫瘍は崩れやすくてその一部が血流に乗って、塞栓症になり易いって。だから、手術で取り除くにしても、何かの拍子で腫瘍の一部が崩れて血管を塞いでしまう。もしかしたら突然死してしまうかもしれないってね。そうなんだあ、って私は思わず感心してしまったけど。まあ手術自体は物凄く難しいってわけじゃないから、それならそういうミスみたいなことが起こらないようなプロ中のプロの心臓外科がある病院で手術した方がいいんじゃないかって、母と相談しながら考えた。でね、ふと思いついたの。父の今いる大学の病院はどうだろうって・・・。
父はね、今アメリカのメリーランド州ってとこにいるの。そこには世界有数の心臓外科を持つ病院があると姉から何かの時に聞いていて、それで・・・さっそく訊いてみた。父を通せばその病院はきいてくれるかしらって。勿論遠いアメリカだし、父はその大学の医学研究者だけど、だからといってそこの大学病院がに父の依頼を断るかもしれない、無理かもしれないなあと思っていたんだけど・・・。
それから、どれくらいだろう、何日か経って突然父からの電話。病状を見たいからそちらの病院に検査の結果だとか見てみたいと、要請したいという連絡を母が受けた。そこからはとんとん拍子。気づいたらアメリカのメリーランド州にある大学病院で手術することになったというわけよ。どうかな、わかったかな。早口でしべちゃったし、まだ言ってないことがあるような気がするんだけど―
かほるの話は思ったより僕にはきついものだった。腫瘍が血管を塞ぐ?突然死?かほるは「感心した」なんてまるで他人のことのような口ぶりだったけれど、それって稀なことじゃくて割と起こり得ることではないのか。ならばいくら優れているとはいっても向こうへ行ったって最悪なことになる確率も決してゼロにはならないはずだ。僕はそんな想いを抱きながら、何とか気持ちを落ち着かせ「彼女がまだ言っていないこと」について質問した。
「いつ・・・いつ向こうに行くんだ」
「ああ、それ言ってなかったね。八月三十日。・・・・・・あと四日よね」
あと四日―。そう聞いてまた心の中に反響が起こった。騒がしくはないが内から胸にまで震えが伝わる反響。
「なら、かほるとは今日が最後・・・」
「それは・・・、ほんとはそうしようと、貢さんと圭太さんも含めて決心していたのだけれど・・・」
「けれど?」
「でも、海人には見送って欲しいなって。それに母が、連れてらっしゃいって」
「ああ、行くよ空港まで。羽田か。時間は」
「いいえ、空港は嫌。海人が来たら行けなくなっちゃうもん」
「え。・・・じゃあどこに」
「早朝、叔父さんが車で来て家から空港まで送ってくれることになっているの。だから、前の日に泊まってって。ヒロコさんが夕飯一緒にしましょって」
「ヒロコさん?」
「母の本当の名前。私、母をそう呼んでるの」
そこでかほるは腕時計を見て、「話はこれでお終い。あとは圭太さんと貢さんに最後の挨拶よ」立ち上がって僕の腕を掴み、少年のようなその容貌をもう一方の手で帽子のひさしを深く下げて隠した。
Maika Loubté - Zenbu Dreaming (Official Music Video)
White Bird Tia Blake
Salyu 「Tokyo Tape」
Johnny (New Light) The Dream Academy
(ちんちくりんNo,63)
次の日に僕はいつもより早めに大学へ向かった。昨夜は興奮して眠りに入るまでに時間がかかったが、ふっと気づいて目を開けたら朝になっていた。いつもより気分が良かった。僕は低血圧なのか、普段は朝体を目覚めさせるまでには時間がかかるが、今日に限っては頭がぼうっとも、体が重いも何もない。そんな感覚は久しぶりだった。朝の光が窓から差し込んでいる。鳥のさえずりも聴こえる。僕は跳ねるように夏掛けを翻して起ち上がり、窓を開けた。すでに飛び立っていた小鳥たちが、数羽隣家の屋根の上を通り過ぎて朝陽に向かって行く姿は凛々しく、僕には希望そのものに見えた。海人さん、早いわね、下で庭の花壇の花々に水をやっていた大山さんが僕を見上げて優しい笑顔を見せてくれた。そのような今朝の出来事を考えながら駅を通り過ぎ、自転車のペダルを、僕は必死に漕いで行ったのだった。
いつものように大学の駐輪場に自転車を突っ込み、大学の本部棟の前を通った時に時計を見上げた。午前9時・・・。かほるは先に行っていると言っていたけど、もしかして俺の方が早すぎたんじゃなかろうか。ふと気になったが、僕は構わず中庭へ急いだ。学舎と学生食堂との間に挟まれた広い中庭に足を踏み入れて、例の場所の方向を見た。センスのない丸い白テーブルに数脚の椅子、その内のひとつに果たして座っていた。野球帽を被って初めて出会ったあの日そのままのかほるが・・・。
僕が近づくとかほるは気づいて、大きく手を振った。ばか、恥ずかしいじゃないか。辺りには誰もいないのに僕は思い、少し顔を背け気味に歩いて行き、テーブルの前まで来るとかほるの向かいの席に座った。丁度僕の後ろの先には楓の木がある。
「まさかのバファローズかよ、その帽子」
いきなりの僕の言葉にかほるは帽子に手を置き、明らかに不満の表情を浮かべた。
「あら、かっこいいでしょ、この帽子。赤白青に猛牛のデザイン、因みにロゴは岡本太郎デザインよ」
「うそ」
「うそじゃないわよ。しかも四年前、バファローズがリ―グ優勝した年、後楽園10・7決戦に叔父さんに連れて行ってもらった時の記念なんだから」
僕はしまったと思っていた。こんな話をするために来たのではなかった。かほるが今まで心の奥底に仕舞っていたことを聞くためにここに来たのだ。なのに、出だしで帽子の話なんて。僕は黙ってしまった。そんな、僕の心の内を読んだのかどうか分からないが、かほるは「そうね」と一呼吸おいてから真顔に変わり、おもむろに言葉を選ぶかのように話し始めた。
―どこから話していいのか・・・、だから昔の話から始めます。今から十一年前のこと、・・・私が小学校に入学した年に両親が離婚したの。母はあの薫りいこね、父はK大の医学部教授。よくは知らないんだけど、感染症?・・・について研究してたみたい。離婚原因は、父の研究が認められて、アメリカの大学に誘われたのね。もっと自由に研究が出来るアメリカにこないか、ってね。父は日本の大学にもともと不満を持っていたものだから、即答。家族も一緒に、って思ってたの。永住覚悟で・・・。一方、母は反対したのよ、その頃は出版社に勤めていて編集の仕事をしていたし、それまで書き溜めていた小説もようやく認められるようになってきたしで、何のために今まで頑張ってきたのかって。話し合いは平行線でまとまらず・・・で、結局離婚することになった。そこで問題になったのが、私たち姉妹をどうするか・・・。姉。あー、あの画の姉ね。あの画は写真を送ってもらって描いたのよ。私たち姉妹はとても仲が良かったの。・・・でも父と母はあなたたちはどちらについて行くか、あなたたちの意志で決めなさいって。そんなの決まっているわよね、私はようやく小学校にあがったばかりで、母から離れるなんて考えられなかった。でも、丁度思春期に入ろうしていた姉は悩んだ。父とも母とも勿論私とも、誰とも別れたくなかった。でも決めなくてはならない。ならばどうすれば一番公平になるのかって考えた。その結果、姉は父を選び、遠く離れたアメリカに渡ったの。それからはずっと姉とは手紙のやり取りをしている関係。
そして姉とはそういう関係を続けながら、昨年のこと。やけに胸が苦しいな息切れがするなと思ってお医者さんに行ったらね、これはいけないと・・・、ここの大学病院への紹介状を書いてもらって、色々な検査をして調べてもらって、思いもしない病気に私が罹っていたことがわかったの。病名は心臓内の粘液種、・・・心臓にね。中にね、左心房ってとこに腫瘍が出来てるらしいの。心臓に腫瘍って、驚いた。そんなの聞いたことがなかったもの。聞いたことないわよね、心臓なんて・・・。でもそれが良性の腫瘍だってことがわかって良かった。ああ、なら手術すれば治るわよね、って母と一緒に喜んだ。でも、物事はそう上手くは行かないものよね。出来た場所が悪かった。心臓って血液を流すポンプのようなもの。入口もあれば出口もある。出口の近くにできているらしいの。息切れや眩暈って症状は、腫瘍が大きくなって血流の障害が伴うことによって起こるらしいの。それだけじゃなくて腫瘍は崩れやすくてその一部が血流に乗って、塞栓症になり易いって。だから、手術で取り除くにしても、何かの拍子で腫瘍の一部が崩れて血管を塞いでしまう。もしかしたら突然死してしまうかもしれないってね。そうなんだあ、って私は思わず感心してしまったけど。まあ手術自体は物凄く難しいってわけじゃないから、それならそういうミスみたいなことが起こらないようなプロ中のプロの心臓外科がある病院で手術した方がいいんじゃないかって、母と相談しながら考えた。でね、ふと思いついたの。父の今いる大学の病院はどうだろうって・・・。
父はね、今アメリカのメリーランド州ってとこにいるの。そこには世界有数の心臓外科を持つ病院があると姉から何かの時に聞いていて、それで・・・さっそく訊いてみた。父を通せばその病院はきいてくれるかしらって。勿論遠いアメリカだし、父はその大学の医学研究者だけど、だからといってそこの大学病院がに父の依頼を断るかもしれない、無理かもしれないなあと思っていたんだけど・・・。
それから、どれくらいだろう、何日か経って突然父からの電話。病状を見たいからそちらの病院に検査の結果だとか見てみたいと、要請したいという連絡を母が受けた。そこからはとんとん拍子。気づいたらアメリカのメリーランド州にある大学病院で手術することになったというわけよ。どうかな、わかったかな。早口でしべちゃったし、まだ言ってないことがあるような気がするんだけど―
かほるの話は思ったより僕にはきついものだった。腫瘍が血管を塞ぐ?突然死?かほるは「感心した」なんてまるで他人のことのような口ぶりだったけれど、それって稀なことじゃくて割と起こり得ることではないのか。ならばいくら優れているとはいっても向こうへ行ったって最悪なことになる確率も決してゼロにはならないはずだ。僕はそんな想いを抱きながら、何とか気持ちを落ち着かせ「彼女がまだ言っていないこと」について質問した。
「いつ・・・いつ向こうに行くんだ」
「ああ、それ言ってなかったね。八月三十日。・・・・・・あと四日よね」
あと四日―。そう聞いてまた心の中に反響が起こった。騒がしくはないが内から胸にまで震えが伝わる反響。
「なら、かほるとは今日が最後・・・」
「それは・・・、ほんとはそうしようと、貢さんと圭太さんも含めて決心していたのだけれど・・・」
「けれど?」
「でも、海人には見送って欲しいなって。それに母が、連れてらっしゃいって」
「ああ、行くよ空港まで。羽田か。時間は」
「いいえ、空港は嫌。海人が来たら行けなくなっちゃうもん」
「え。・・・じゃあどこに」
「早朝、叔父さんが車で来て家から空港まで送ってくれることになっているの。だから、前の日に泊まってって。ヒロコさんが夕飯一緒にしましょって」
「ヒロコさん?」
「母の本当の名前。私、母をそう呼んでるの」
そこでかほるは腕時計を見て、「話はこれでお終い。あとは圭太さんと貢さんに最後の挨拶よ」立ち上がって僕の腕を掴み、少年のようなその容貌をもう一方の手で帽子のひさしを深く下げて隠した。