Shocking Blue - This America • TopPop
ショッキング・ブルーがオランダのロックバンドだったとはしらなかった。ヴィーナスという曲が有名だけど、この曲も良い。
Suzan & Freek - Als Het Avond Is (Officiële Video)
この辺りが最近のオランダのヒット曲らしい。いいね。基本的にはオランダってエレクトリック・ミュージック大国らしいけど、こういうの聴くと昨今のUKやUSAの音楽の傾向とそれほど「ずれ」みたいのはないように思う。
他にも紹介したいけど、それはまた次にしたいと思う。
井上陽水 - 能古島の片想い
銀のオルゴール(太田裕美)
Tracey Thorn / 'In the Cold, Cold Night'
(ちんちくりんNo,70)
飛行機の中、今は朝と言っていいのかしら……、日記書いています。
未だ一日が始まったばかりなのに変な奴と思われそう。でもね、ずっと何日もサボっていたからともかく書かなければと。それに考えていたことを今すぐにでも文字にしたかったの。
言いたかった。
何を?
好きという言葉を。
誰に……。
海人。
でも私は前を向いた。海人が手を振っていたのにもかかわらず無視した。でないとどうしても別れが辛い。
これで良かったんだって思った。これが正解って。ただ、車が角を曲がってすぐに思わず叔父さんに「止まって!」って叫んじゃったけどね。叔父さんのあの「何事か」って驚いた顔。急ブレーキを踏んで、車を止めてくれたけど……私はしまったと思って、こちらを見ている叔父さんにごめんなさいって謝った。本当にごめんなさい、裕次郎叔父さん。
それにしても、たった一ヶ月だ。海人と初めて会ってから今日まで……。たったの一か月だったけれど、濃かったなあ、本当に濃くて楽しかった。自分まで大学生になった気分で、映画研究部の部員のようで、まるで……海人の彼女になったような、うふふ―海人の実家まで行っちゃったんだっけ。お母さんはとても楽しい人だったな。お父さんもお姉さんもとても優しい。見られなかった富士山、高村光太郎の碑、送り火のあの、出来事……。
いつかは懐かしい青春の思い出ってやつになってしまうのかしら。
そう思えるようになった未来の私を見てみたいなあ。
……海人、ごめんね。
心臓、良性の腫瘍なんて嘘。悪い方らしいの。手術をしても5年生存率が20パーセントもないと言われたよ、大学病院の先生に。さすがにそれは、本当のこと、海人には言えなかった。
でも挑戦するよ。だめ、かもしれないけど生きたいもの。
生きて、また……。
あ、隣のおばあさんが起きたよう。離陸してから話しかけて来て、しばらく話していたの。戦争で生き別れた息子さんに会いにいくそうだ。どういう経緯でそうなったのかはよく分からないけれど、話をしているうちに寝てしまった。また何か話したいのかな。目がそう訴えている。
戦争の話、そういう問題、そういう話は現代を生きている若い私たちが受け継いでいかなければならないと思っている。
だから教えてね、おばあさん。
ショッキング・ブルーがオランダのロックバンドだったとはしらなかった。ヴィーナスという曲が有名だけど、この曲も良い。
Suzan & Freek - Als Het Avond Is (Officiële Video)
この辺りが最近のオランダのヒット曲らしい。いいね。基本的にはオランダってエレクトリック・ミュージック大国らしいけど、こういうの聴くと昨今のUKやUSAの音楽の傾向とそれほど「ずれ」みたいのはないように思う。
他にも紹介したいけど、それはまた次にしたいと思う。
井上陽水 - 能古島の片想い
銀のオルゴール(太田裕美)
Tracey Thorn / 'In the Cold, Cold Night'
(ちんちくりんNo,70)
かほるの日記
飛行機の中、今は朝と言っていいのかしら……、日記書いています。
未だ一日が始まったばかりなのに変な奴と思われそう。でもね、ずっと何日もサボっていたからともかく書かなければと。それに考えていたことを今すぐにでも文字にしたかったの。
言いたかった。
何を?
好きという言葉を。
誰に……。
海人。
でも私は前を向いた。海人が手を振っていたのにもかかわらず無視した。でないとどうしても別れが辛い。
これで良かったんだって思った。これが正解って。ただ、車が角を曲がってすぐに思わず叔父さんに「止まって!」って叫んじゃったけどね。叔父さんのあの「何事か」って驚いた顔。急ブレーキを踏んで、車を止めてくれたけど……私はしまったと思って、こちらを見ている叔父さんにごめんなさいって謝った。本当にごめんなさい、裕次郎叔父さん。
それにしても、たった一ヶ月だ。海人と初めて会ってから今日まで……。たったの一か月だったけれど、濃かったなあ、本当に濃くて楽しかった。自分まで大学生になった気分で、映画研究部の部員のようで、まるで……海人の彼女になったような、うふふ―海人の実家まで行っちゃったんだっけ。お母さんはとても楽しい人だったな。お父さんもお姉さんもとても優しい。見られなかった富士山、高村光太郎の碑、送り火のあの、出来事……。
いつかは懐かしい青春の思い出ってやつになってしまうのかしら。
そう思えるようになった未来の私を見てみたいなあ。
……海人、ごめんね。
心臓、良性の腫瘍なんて嘘。悪い方らしいの。手術をしても5年生存率が20パーセントもないと言われたよ、大学病院の先生に。さすがにそれは、本当のこと、海人には言えなかった。
でも挑戦するよ。だめ、かもしれないけど生きたいもの。
生きて、また……。
あ、隣のおばあさんが起きたよう。離陸してから話しかけて来て、しばらく話していたの。戦争で生き別れた息子さんに会いにいくそうだ。どういう経緯でそうなったのかはよく分からないけれど、話をしているうちに寝てしまった。また何か話したいのかな。目がそう訴えている。
戦争の話、そういう問題、そういう話は現代を生きている若い私たちが受け継いでいかなければならないと思っている。
だから教えてね、おばあさん。
1984年8月30日、飛行機の中にて