皆さん回線スピードダウンで苦しんでいるようですが、これもライブドアのせいでしょうか?ブログをライブドアで作っている人のページは開けませんでしたし。私も少し速度が落ちている気がする。厄介だな。
~本日の名言~
愛は最高の味方か最悪の敵だ。(十六夜)
今日は自分的に「愛」について書いてみようかと。かなり恥ずかしいがまあ誰か共感者がいてくれれば幸い。
とりあえず名言解説。愛の力は大きい。ただ、それはいい意味でも悪い意味でも取れる。というかどちらにも作用する。前向きな考えの人には更に進む力を与え、後ろ向きな考えの人には悩みこんでしまう弊害をもたらす。更に、油断しているといい方向に進んでいた力が突如牙をむくこともある。また、それは自分でも思いがけない行動を起こしたりするきっかけになる。
結局他人に向ける愛というものは自分の勝手な感情であるわけだ。こんなこと言ったらロマンも何もないが、実際そうなんだから仕方ない。人間の感情は全て自分が勝手に思うことであって、誰のせいでもない、己の責任だ。そんな中で何かと美化されてしまいがちなのが「愛」だ。本能的に雄と雌の世界で考えるなら異性に向けられるそういった感情は自然だから誰も責めたりはしない。いや、本能的だからこそみんな美化したがる。そういったところに人間はロマンを求めるものだ。
別に私は冷めた現実主義者ではない。むしろかなりのロマンチストだと思う。常々いろいろ現実逃避したりしてるし。ただ、なんとなく自分の求めるものの本性を知りたくなるというか、いい面だけでなくて悪い面も知ったうえでそのことを受け入れたいと思ってしまう。まあそこが現実主義者だと言われればそれまでだが。こう見えても私だって人並み、いや、もしかしたらそれ以上の燃えるような恋をしたりもする。まあだからこそたまにこんなことも考えてしまったりするわけですけどね。あ、もちろん私は後ろ向きな人だから悩みこんでしまうタイプだ。というか前向きでも空回りして進まないタイプの人間だ。いわゆる恋愛下手という奴だ。そこはもうあきらめてるからいいとして。
んでだ。結局愛というものは他人などに向けられる「感情」の一種ということだ。ごくまれに自分に向けて愛を発する特殊な人もいますがね…。ちなみに人間誰しも自分をいたわるというか自分に対する愛のような感情は持っているものだけど、それは「愛」とはまた違う「愛」だと思う。ここでは「自己愛」とでも言っておこうか。いわゆる「自分が可愛い」という考え方かな。これはどちらかというと防衛本能に近いものだと思う。精神学者ではないから偉そうな事は言えないが、防衛本能が発展して自分のことを可愛いと思うようになったのではないだろうか。他人とのコミュニケーションが苦手な人は防衛本能が強いから、自分以外の人間は苦手という感情が起こるのではないのだろうか。なんだか哲学か心理学の授業っぽくなってきたな…。私はそっち方面は全く専門外なのでこの辺にしとくか。
とにかく私的な「愛」とは人間の中で最も自然で最も強い感情だと思う。ただ、その力を生かすも殺すもそれはその人間の気の持ちようと考え方だと思う。誰かを好きになる事と愛する事の違いはそこにある。「あ、あの人いいな」というのは好きの感情。愛するとは、「その人のためなら死ねる!」的な感情というかなんというか…。本当に心の底からその人のことで悩める感情だと思う。夜に寝られなかったり、その人の顔が浮かんだりするのが典型である。
ただし、愛というのは恒久的なものではない。好きになったけどすぐに冷めてしまったという人がいるが、たとえ短期間であってもその人について真剣になれたならそれは「愛した」という事になると思う。私なんかはそんなことは滅多にないが。というか好きが愛に発展するタイプなので(例外もあるが)簡単に冷めることはない。良いんだか悪いんだか。人間は一生のうちで何人もの人を愛することができるという名言もあるが、私にはあまり当てはまらないな…。
結局のところ、「愛」も感情である以上千差万別。他人の「愛」の前ではいかなる言葉も役に立たないということか。自分の感情は他人には決してわかからないものだから完全なる助言というものは存在しない。もちろん他人の言葉で勇気付けられたりすることは多々あるが、結果を出すのは他でもない自分自身。
愛の力を自分のエネルギーとして大きく進め!
~本日の名言~
愛は最高の味方か最悪の敵だ。(十六夜)
今日は自分的に「愛」について書いてみようかと。かなり恥ずかしいがまあ誰か共感者がいてくれれば幸い。
とりあえず名言解説。愛の力は大きい。ただ、それはいい意味でも悪い意味でも取れる。というかどちらにも作用する。前向きな考えの人には更に進む力を与え、後ろ向きな考えの人には悩みこんでしまう弊害をもたらす。更に、油断しているといい方向に進んでいた力が突如牙をむくこともある。また、それは自分でも思いがけない行動を起こしたりするきっかけになる。
結局他人に向ける愛というものは自分の勝手な感情であるわけだ。こんなこと言ったらロマンも何もないが、実際そうなんだから仕方ない。人間の感情は全て自分が勝手に思うことであって、誰のせいでもない、己の責任だ。そんな中で何かと美化されてしまいがちなのが「愛」だ。本能的に雄と雌の世界で考えるなら異性に向けられるそういった感情は自然だから誰も責めたりはしない。いや、本能的だからこそみんな美化したがる。そういったところに人間はロマンを求めるものだ。
別に私は冷めた現実主義者ではない。むしろかなりのロマンチストだと思う。常々いろいろ現実逃避したりしてるし。ただ、なんとなく自分の求めるものの本性を知りたくなるというか、いい面だけでなくて悪い面も知ったうえでそのことを受け入れたいと思ってしまう。まあそこが現実主義者だと言われればそれまでだが。こう見えても私だって人並み、いや、もしかしたらそれ以上の燃えるような恋をしたりもする。まあだからこそたまにこんなことも考えてしまったりするわけですけどね。あ、もちろん私は後ろ向きな人だから悩みこんでしまうタイプだ。というか前向きでも空回りして進まないタイプの人間だ。いわゆる恋愛下手という奴だ。そこはもうあきらめてるからいいとして。
んでだ。結局愛というものは他人などに向けられる「感情」の一種ということだ。ごくまれに自分に向けて愛を発する特殊な人もいますがね…。ちなみに人間誰しも自分をいたわるというか自分に対する愛のような感情は持っているものだけど、それは「愛」とはまた違う「愛」だと思う。ここでは「自己愛」とでも言っておこうか。いわゆる「自分が可愛い」という考え方かな。これはどちらかというと防衛本能に近いものだと思う。精神学者ではないから偉そうな事は言えないが、防衛本能が発展して自分のことを可愛いと思うようになったのではないだろうか。他人とのコミュニケーションが苦手な人は防衛本能が強いから、自分以外の人間は苦手という感情が起こるのではないのだろうか。なんだか哲学か心理学の授業っぽくなってきたな…。私はそっち方面は全く専門外なのでこの辺にしとくか。
とにかく私的な「愛」とは人間の中で最も自然で最も強い感情だと思う。ただ、その力を生かすも殺すもそれはその人間の気の持ちようと考え方だと思う。誰かを好きになる事と愛する事の違いはそこにある。「あ、あの人いいな」というのは好きの感情。愛するとは、「その人のためなら死ねる!」的な感情というかなんというか…。本当に心の底からその人のことで悩める感情だと思う。夜に寝られなかったり、その人の顔が浮かんだりするのが典型である。
ただし、愛というのは恒久的なものではない。好きになったけどすぐに冷めてしまったという人がいるが、たとえ短期間であってもその人について真剣になれたならそれは「愛した」という事になると思う。私なんかはそんなことは滅多にないが。というか好きが愛に発展するタイプなので(例外もあるが)簡単に冷めることはない。良いんだか悪いんだか。人間は一生のうちで何人もの人を愛することができるという名言もあるが、私にはあまり当てはまらないな…。
結局のところ、「愛」も感情である以上千差万別。他人の「愛」の前ではいかなる言葉も役に立たないということか。自分の感情は他人には決してわかからないものだから完全なる助言というものは存在しない。もちろん他人の言葉で勇気付けられたりすることは多々あるが、結果を出すのは他でもない自分自身。
愛の力を自分のエネルギーとして大きく進め!