無知、無能がゆえに努力する
私が昨年いただいた最大の功徳は
「自分がいかに無知である」と知ったこと。ゆえに地道な不断の努力が必要だと気付いたこと。
現実の様々な事象に直面すると自分が
いかに無知で無能であることに気付かされる。
環境は絶えず変化の過程にあり、30年前に大学で習得した知識などでは
到底太刀打ちできない。
ましてや門外である最先端の経済学、統計学、金融学ファイナンスなど
さっぱりわからない。英文で書いたものなどお手上げ。。
昨年に
高度な市場分析調査依頼を受け、自らレポート作成にあたりその薄ぺらさに
いかに技能、知識が無いことに気づかされ、嫌気がさしその場で破いた。
高度な技能が求められていますが、まったく歯が立ちません。
専門家のブレイン(brain)に聞けばいいのですが、やはり自らも習得しなければ
自らの技能は成長しないし、形ばかりの成果物ではそのメッキは必ず剥がれる。
現実に直面したときに、いかに自らが無知無能で至らないのか思い知る。
私は自分にわからないことは、その相手がたとえ年下であろうと、頭を下げて
教えを被る。わからないことは、わからないと素直に聞く。
ここでソクラテスの「無知の知」を思い出しました。
論語にも「知らざるを知らずと為す是知るなり 」(知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである。 )
わからない事を聞くことは恥ずかしいことではない、
わからない事をそのままにしておくこと、知ったかぶりをすることほど、恥ずかしいことはないと思う。
器用に小手先で立ち振る舞いだけがうまい偽者のメッキは必ず見破られてしまいます。
慢心する心ほど恐ろしいことはない。なぜなら自身の成長が止まるどころか、奈落のそこまで落とされる。(人の振り観てわが身を正す)
正直、地道にこつこつと絶えず努力をすることはしんどい時もあります。
しかしながら、
たとえ頭が良くなくとも、まじめに正直に、不断の地道な努力の積み重ねが、3年、5年、7年後には大きな自分にへと成長させてゆくことでしょう。
正直にまじめに努力する人ほど強いものはない。あの有名なヤンキースの松井選手も「努力できることが才能である」だと語っています。
いよいよ来週から慶応義塾大学院のオリエンテーションが始まる。
さぁやるぞ、と意気込む。今後は無能コンサルの奮闘記でも綴るかな(苦笑
深々と(つねに謙虚で)静かに(地道に)そして滔々と(絶え間なく努力する)
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