私の信仰② 蘇生と変革について、(社会経済の変革は個人の変革から)
信仰とは自らを改革すること
▼6日日曜の広・唱会にて
日蓮正宗法道院主管である八木日照御能化より、故)尾林御能化のご講演を引用され
妙とは、蘇生の儀であること。
向上心と個人(人間としての一人)の変革そして各活動分野での地域社会での
変革が大切だとご指導された。
▼他力本願、牡丹餅の信仰はしない。
この信仰をすれば
お金が入っるとか、職や仕事にありつける成功する、衣食住に困らないなど
あえて言うなら、そのような次元の
単なる目先のご利益信仰のような物乞い信仰であるならば、
社会的にも家庭もしっかりしている人は、そのような他力本願な信仰はしない。
なぜならば、そのようなひとは
自らの努力で社会的な地位やお金を築くことができるから。
ですのでこの信仰をすれば、お金に困らないとかいい職に就けるとか言っても
そのようなことには失笑されされてしまうでしょう。すでに悩んでいる次元が違うから。
祈って棚から牡丹餅の信仰は、そのようなひと(自ら向上心のある)
から、もっとも蔑まれ嫌う発想だと思うのです。
▼本来の信仰(少なくとも私にとっての)とは「志」の源
世のため人のために尽くせるために自らを磨くことが
向上心の最たるものでると青年期に教えられましたが、
当時は、
その理想と現実にのはざまでいつも葛藤していたました。
されど、そのことを真剣に悩み、それをばねにして努力してきたからこそ
今日の自分があると、ありがたく感謝しております。
▼いまの社会を観ても
やれ政治が悪い、社会が悪い、会社が悪いなど
自らのことを省みず、愚痴はがりが目立つ。
たしかにその通りかもしれませんが、そんな言ったとしても
自らにとっても負(マイナス)にしかならない。
集団・組織していは国は、個々の集まり、
個々人の変革なくして、属する集団していは社会の変革もない。
そのため(自らを改革していくため)信仰が必要だと
改めて考えさせられる。
http://blog.goo.ne.jp/ucf6601/e/87c9eeeacef63b447511c319515f6784
深々と静かに、そして滔々と
(つねに深々と謙虚に内なる自分を見つめ、なにごとにも動ずることなく、静かに
そして水の流れるごとく、滔々と弛むことなく精進する。)
※日蓮正宗法華講・法道院所属の一信徒(創価学会ではありません)
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