先日出張で、ある地方の都市に行ってきました。
そこで目を引いたのが、某宗教団体の建物(支部)でした。
大きな国道沿いに立派な建物が建っており、軽く億は超えている様相でした。「信者からのお布施が、こんなものに変わるんだなぁ・・」としみじみ思いながらも、ある疑問が私の脳裏によぎりました。
それは、「なんでこんな場所に建てたのだろうか?」ということです。
そこは確かに国道沿いで、立地としてはとても良いのでしょうが、私がそこら一帯で感じたのは、「寂しいカンジ」だったのです。
あまり栄えない場所といいますか、星椎水精先生が著書でも述べられているように、そのような場所は大抵、“地場”が悪いのです。
案の定、調べてみたら、そこは昔戦が頻繁にあった場所(戦場跡地)らしく、当然ながら成仏していない浮遊霊があちこちいそうな、そんな落ち着かない、寂しい場所だったのです。
そんな場所になぜ建てたのか?私の疑問はそこなのです。
一般的な目で見れば、大きな幹線道路沿いで駅にも近いし、目立つから広告塔としても良いのでしょう。正に一等地と呼べる場所にあるのですが、それは目に見える範囲での事です。
少しでも霊感があれば、そんな場所に長時間いるのは無理だと思うし、まず行きたがらないと思います。
ですが、私が通りかかった時は、信者さんが数名中にいました。
それを見て、「この宗教団体は“宗教”で魂の救済など謳っているけれども、実際は霊感なんて全然ない人たちばかりで構成されているんだな!」とはっきりと確信しました。
要は、おそらくこれらの建物も、目立つ場所にあれば良いとしか思っていないのでしょう。場所が悪いことすら分からず、そこで宗教活動を平然と出来るということは、宗教の名の下に『宗教ビジネス』をしているという以外、彼らの行動を説明することは不可能だと思いました。
≫星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
クリックしてね !!
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大きな国道沿いに立派な建物が建っており、軽く億は超えている様相でした。「信者からのお布施が、こんなものに変わるんだなぁ・・」としみじみ思いながらも、ある疑問が私の脳裏によぎりました。
それは、「なんでこんな場所に建てたのだろうか?」ということです。
そこは確かに国道沿いで、立地としてはとても良いのでしょうが、私がそこら一帯で感じたのは、「寂しいカンジ」だったのです。
あまり栄えない場所といいますか、星椎水精先生が著書でも述べられているように、そのような場所は大抵、“地場”が悪いのです。
案の定、調べてみたら、そこは昔戦が頻繁にあった場所(戦場跡地)らしく、当然ながら成仏していない浮遊霊があちこちいそうな、そんな落ち着かない、寂しい場所だったのです。
そんな場所になぜ建てたのか?私の疑問はそこなのです。
一般的な目で見れば、大きな幹線道路沿いで駅にも近いし、目立つから広告塔としても良いのでしょう。正に一等地と呼べる場所にあるのですが、それは目に見える範囲での事です。
少しでも霊感があれば、そんな場所に長時間いるのは無理だと思うし、まず行きたがらないと思います。
ですが、私が通りかかった時は、信者さんが数名中にいました。
それを見て、「この宗教団体は“宗教”で魂の救済など謳っているけれども、実際は霊感なんて全然ない人たちばかりで構成されているんだな!」とはっきりと確信しました。
要は、おそらくこれらの建物も、目立つ場所にあれば良いとしか思っていないのでしょう。場所が悪いことすら分からず、そこで宗教活動を平然と出来るということは、宗教の名の下に『宗教ビジネス』をしているという以外、彼らの行動を説明することは不可能だと思いました。
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