先日の星椎水精先生のコラムに、キリストについて書かれてありましたね。
『神とは、地球でいえば、地球そのもの。キリストやお釈迦様は、神の使いでしかない。厳密にいえば、神の使いが磔(はりつけ)にあうことなどないし、あり得ない。日蓮でさえ、処刑の難を免れている。』
という部分を読んで、世間の人達が気づいていない、とても大事なことが書かれてあるなと思いました。
以前、テレビでキリストが磔(はりつけ)になるまでの再現VTRが放映されているのを見ました。
途中から見たのですが、そこに描かれていたのは、枷(かせ)をはめられ、ムチで何度も打たれながら、自分で磔になる十字架を背負い丘の上まで歩かされ、そして手首や足首に杭を打たれ、そして死んでいくキリストの姿でした。
昔の人はなんとも残酷なことをしたのだなと思いながら、ふと、なぜそんな酷い目に遭わなければいけなかったのかと思いました。
つまり、本当に救世主や神の使いなのであれば、そのような目に遭うハズがないと思ったからです。
実際、星椎先生が『日蓮でさえ、処刑の難を免れている。』とおっしゃっておられるように、真の使いであれば、処刑される事はないでしょう。
さらに、これも以前姫路さんに言われてハッとしたことなのですが、キリストの像がありますが、何か違和感がありませんか?
それがないかというと、崇拝する像が重苦しく痛々しいことです。
痛々しいとか重苦しいと感じる事自体、成仏していないという事ですし、そもそもそのような波動を出すこと自体、神の使いであればあり得ません。
ですから、イエス・キリストが神の使いというのは、生きている人間が作り上げた虚像であると言わざるをえないのです。
以前、星椎水精先生がコラムで「キリストは普通の人」とおっしゃっておられたことが、このことですごく理解出来ました。
星椎水精先生は全てを見抜いておられ、私達の疑問に常に前向きに応えて下さり、本当に凄いと思います。
心眼を磨かなければ、このような有名なものでさえ私達は惑わされてしまうので、十分気をつける必要がありますね!
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
見届け役:姫路さんのブログ:こちら
クリックしてね !!
『神とは、地球でいえば、地球そのもの。キリストやお釈迦様は、神の使いでしかない。厳密にいえば、神の使いが磔(はりつけ)にあうことなどないし、あり得ない。日蓮でさえ、処刑の難を免れている。』
という部分を読んで、世間の人達が気づいていない、とても大事なことが書かれてあるなと思いました。
以前、テレビでキリストが磔(はりつけ)になるまでの再現VTRが放映されているのを見ました。
途中から見たのですが、そこに描かれていたのは、枷(かせ)をはめられ、ムチで何度も打たれながら、自分で磔になる十字架を背負い丘の上まで歩かされ、そして手首や足首に杭を打たれ、そして死んでいくキリストの姿でした。
昔の人はなんとも残酷なことをしたのだなと思いながら、ふと、なぜそんな酷い目に遭わなければいけなかったのかと思いました。
つまり、本当に救世主や神の使いなのであれば、そのような目に遭うハズがないと思ったからです。
実際、星椎先生が『日蓮でさえ、処刑の難を免れている。』とおっしゃっておられるように、真の使いであれば、処刑される事はないでしょう。
さらに、これも以前姫路さんに言われてハッとしたことなのですが、キリストの像がありますが、何か違和感がありませんか?
それがないかというと、崇拝する像が重苦しく痛々しいことです。
痛々しいとか重苦しいと感じる事自体、成仏していないという事ですし、そもそもそのような波動を出すこと自体、神の使いであればあり得ません。
ですから、イエス・キリストが神の使いというのは、生きている人間が作り上げた虚像であると言わざるをえないのです。
以前、星椎水精先生がコラムで「キリストは普通の人」とおっしゃっておられたことが、このことですごく理解出来ました。
星椎水精先生は全てを見抜いておられ、私達の疑問に常に前向きに応えて下さり、本当に凄いと思います。
心眼を磨かなければ、このような有名なものでさえ私達は惑わされてしまうので、十分気をつける必要がありますね!
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