星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

お彼岸近く

2015年03月17日 20時27分30秒 | 天国
いよいよ今週の木曜日(19日)は、星椎水精先生の浄霊があります!

それも、春のお彼岸のときにです。

毎年、このお彼岸の時期というのは、霊障によって体調が悪くなります。

ちょうど花粉の時期とも重なり、目が重かったり息苦しかったりと、せっかくの春を満喫できない苦しい季節になっています。

お彼岸というのもお盆と同じく、先祖さんが幽界や霊界から帰ってこられるらしく、そのためいつも以上に他家の先祖の霊障を感じてしまいます。

先日の星椎水精先生のコラムのコメントにありました「鼻炎は霊障」というお言葉にあるように、花粉症をはじめとするアレルギーや鼻炎は、かなりの割合で霊障が関係していることを、私は実際に体験しているため、ものすごく理解できます。

花粉症のピークが、このお彼岸の時期に近いという事も、霊障が大いに関係しているのではないでしょうか。

単なる偶然ではないと思います。


昨年までは、お彼岸に事故をよく見かけてましたが、今年は事故よりも圧倒的に火事が多いです。

事故よりも被害が大きいと思われる火事を頻繁に見かけるという事は、それだけ霊障が強くなっていると汲み取ることができます。

亡くなる人は増えても、成仏出来なくて人間界にウヨウヨいることを考えれば、事故や火事などが増加してもなんらおかしくはありませんからね。

霊障という点では、私の場合、先日の土日が特に体がきつかったですね。

無性に眠くて眠くて、寝ても寝ても眠かったです。

きっとお彼岸という時期と、浄霊前というダブルパンチで眠かったのでしょう。

ですから、霊障独特の眠さを強く感じました。

お彼岸やお盆というのは、いつも以上に先祖さんたちの事を考えるいい機会だと思います。

これらの時期に、一人でも多くの先祖さんを浄霊してあげられるという事は、先祖さんにとっても我々末裔にとっても、大変喜ばしいことだと思います。

浄霊の日が刻々と近づくにつれ、ウキウキ感が高まってきています。

待ち遠しいですね!


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来週は…

2015年03月13日 20時17分14秒 | 天国
来週19日は、いよいよ浄霊の日です。

お彼岸前のご供養ですので、ぜひこの時期に浄霊して差し上げたいですよね。

お申し込みの受け付け締め切りは、16日(月)です。

19日が待ち遠しいですね!

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4年

2015年03月12日 20時55分51秒 | 天国
昨日は、東日本大震災から4年がたった日でしたね。

朝から夜まで、テレビでお祈りをしてる人たちの姿が映し出されていたのですが、やはり「暗い」ですよね。

両親を津波で亡くされた人たちのインタビューなどもありましたが、彼らが言うには「ふとした時に、悲しくなる」といったように、「悲しみが癒えない」ことが共通して見て取れました。

そのような、「消えない悲しみ」を背負ったままなので、いくら明るくしようとしても、暗さが滲み出てくるのは当然な事です。

しかし、ここに大きな疑問があります。

それはもちろん、いつも言っている「天国に行っている(成仏している)と思い込んでいるのに、なぜ悲しいのか?」という事です。

本当に成仏しているのなら、悲しいはずがないんです。

大切な人を失って、悲しいのは当然です。

でも、同じような境遇にあっても、「浄霊していただき、成仏している」のと「成仏していない」のでは、残された人の感情は全く違うものなのです。

浄霊(成仏)されていれば、「いなくて寂しい」という感情は同じでも、暗くなったり悲しみに襲われたりなんていうことは滅多にありません。

これは、私も実際に体験しているから言える事なのです。

私と同じ様に、星椎水精先生の浄霊体験者の方たちは思っていらっしゃることでしょう。

では、この違いは一体何かというと、「本当に成仏しているかどうか?」の違いですよね!


未だ多くの被災者の方の悲しみが癒えていないこと。

慰霊祭が重苦しい雰囲気であること、e.t.c.e.t.c..。

これらは、亡くなった人達が成仏しておらず、親族や親しかった人たちに憑依し、助けを求めているから起こるのであって、そのことに目を背け続けている限り、絶対に解決はしないだろうなと思います。

また、数々の宗教団体やお寺の僧侶たちが慰霊祭などをしているにも関わらず、霊の目撃情報が絶えなかったり、悲しみを背負った人が減らないのも、おかしなことです。

これは言い換えれば、宗教団体の慰霊祭や僧侶の読経が、まるで効果がないことを証明しているわけです。

このように冷静に考えればわかる不都合な矛盾にも、依然人々は目を背けたままです。

これでは、いつまで経っても問題が解決するはずがありません。

星椎水精先生に辿り着き、浄霊をしていただければ、様々な問題があっという間に解決すると思います。

これも先日書いたことと同じで、「わかるひとだけ、わかればいい」のであって、理解できる人だけ、救済さ<れる/font>という事なんでしょうね。

つくづく、厳しい世界だなと考えさせられます。



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自己責任の世界

2015年03月10日 20時12分27秒 | 天国
先週末に姫路さんがブログで書かれていた事が、とても印象的でした。

特に、星椎水精先生が

「わかる人だけが、わかればいいんじゃないか」

という点が、とても重く感じました。

というのは、一見、優しいカンジがする言葉ですが、私にはとても厳しい言葉に感じたからです。


星椎水精先生の行われている浄霊というのは、ご存知の通り「強制」や「ノルマ」などは一切ありません。

つまり、自主性が問われており、どれだけ理解できるか、どれだけ頑張れるかはその人次第なわけです。

そこには、その人の意志や考え方などが大きくかかわってくると思うのです。

少しでも気を抜けば、あっという間に浄霊から遠ざかっていってしまう危険性もあり、それでいつの間にか浄霊が申し込めなくなってしまう事も多々あるそうです。

義務教育のように、半ば強制的に勉強する環境にいれば、仮に自分の意志が弱くても、勉強をするでしょう。

でも、大学のように自由な場所では、何を勉強するか、時間をどのように使うかはその人次第なわけで、しなければしないだけの結果が、頑張れば頑張った分の良い結果が返ってくるわけですから、とても難しいと思います。

自由はとても良いものだと思うのですが、そこに自主性や目的がなければいけなという、とても厳しい面もあります。


星椎水精先生の浄霊というのもこれと同じで、自主性が問われており、何をどれだけするかは本人の自由です。

浄霊(星椎水精先生のご供養)を理解できるかどうかというのも、霊感のあるなしや徳も関係してきますし、なによりレベルが低いと絶対にわからない次元のものです。

だからこそ、「わかる人だけがわかればいいのではないか」というのは、そこですでに分別が行われていることを表しているんだと思うのです。

上記の様な流れからして、厳しい言葉ではないのかなと思いました。


自主性というのは、とても難しいものですね。

これからも、頑張れる人は、信念を持って頑張っていただきたいものです!


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努力

2015年03月06日 20時41分45秒 | 宗教ビジネス
よく、「努力は裏切らない」とか、「努力は報われる」という言葉を聞きますよね。

スポーツや勉強でも、「きっと報われる」と自分に言い聞かせ、辛くても頑張っている人も多いと思います。

その反面、意外と報われなかったという経験をした人も多いのではないでしょうか。

「精神を鍛えるのによかった」とか、「あの時の勉強がここで役に立った」など、無理やり納得している人も多いかもしれませんね。


最近、この「努力」というものについて、「なるほど!」と思ったことがありました。

誰が言ったことなのか忘れてしまいましたが、ある人がこう言っていました。

「努力は裏切らないのではなく『正しい方向でした努力は、裏切らない』のです。」と。

この言葉で、とてもハッとさせられました。

一般的に、努力していればいつか報われるだろう、結果が出るだろうと思い、一生懸命に頑張る人が多いと思いますし、そういうことが努力だと思いがちです。

しかし、肝心の“方向”が間違っていると、その労力と時間が無駄になってしまうよ…、ということです。

当たり前のことなのですが、言われないと実感しない言葉でもありました。


さて、これで何を一番に思ったかというと、「先祖供養」です。

世間一般の人達は、「自分の家の供養はできている」と思っています。
(と言うか、出来ていると思い込んでいるという言い方のほうが正しいかもしれません…。)

「これが正しい供養だ」「故人や先祖は、きっとこれを望んでいる」という考えで、いろいろしていると思うんですよね。

お経をあげたり、供養と称して法要を行うなどなど。

もしくは、自分が信仰する宗教の供養を必死に行ったり。


自分は一生懸命に努力している。やり方(方向)は間違ってはいない、と思っているわけです。

でも、それらの「努力」が正しい方向でないと、すべては無駄になってしまいます。

例えば、何も力のない霊能者や宗教を信奉し、多額のお金を使って勧められるがまま先祖供養などしても、それらが本当の供養になっていない(成仏させれらていない)のだから、私から見れば、これほど無駄な努力はありません。

本人は「いつか結果が出る」「報われる」と思い一生懸命頑張るのですが、いつまでたっても終わらないし、結果が出ないというのをよく聞きます。

ですが、結果が出ないというのは、それはその努力の方向が間違っているということに他ならないと思います。


では正しい方向での努力とは何か?

先祖供養で言えば、星椎水精先生の先祖供養(浄霊)が正しい方向での努力になるわけですから、まだまだたどり着く人が少ない現在、多くの人が「間違った方向の努力」を一所懸命に頑張っているんではないかと思います。

せっかくするのであれば、「報われる努力」を一生懸命に頑張ればいいんじゃないかなと思いますが。

ただ、そこに辿り着くには、何度も言うように「霊感」や「徳」というものがなければ不可能ですし、さらに供養の本質を理解できなければ続けられないという「狭き門」でもあります。

本当に、つくづく難しい世界なんだなと思いますが、すべては「気付き」だと思うんですよね。

固定概念やまやかしに騙されず、生きている間に「報われる努力」に辿り着いてもらいたいものです。


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